小田原古城

後北条氏居城


構造:平山城
公式HP: 小田原市総構の遺構小田原城街歩きガイド/小田原古城
年代:1495~1590年  
主な城主: 北条早雲・北条氏政
所在地: 神奈川県小田原市城山
訪問日:2015年11月
駐車場情報:駐車場なし(市内各駐車場利用)

遺構満足度:★★★★ ロマンどきどき度:★★★★  犬連れ快適度:★★★


小田原駅

東口の市営駐車場に車を停め,犬の通れる構内の道を選んで西口に向かいます。
EOS 5D Mark II + EF17-40mm f/4 L USM


北条早雲像

西口で親友のクマさんと待ち合わせしています。クマさんは小田原生まれの小田原育ちで自宅も職場も市内です。

「ちょっとさあ,今度,小田原古城の遺跡を見物したいんだけど…」

…と,連絡したところがタイヘンなことになりました。練りに練った見学コースを作り,丸々一日空けてガイドしてくれるそうです。しかも,

「時間足りません。遺構は海沿いの方にもたくさんあるんっすよ。」

…だそうで,たぶん,そのうち「小田原古城2」,「3」と続編ができるでしょう。

EOS 5D Mark II + EF17-40mm f/4 L USM


クマさん登場。もちろんクマさんはその風貌からついたあだ名ですが,最近ダイエットに成功してほっそりと痩せてしまいました。…ボクを残して。
EOS 5D Mark II + EF50mm f/1.2 L USM


八幡曲輪跡

観光用に復元されている江戸小田原城天守とJR東海道線を挟んで反対側(西側)の山を八幡山と言います。この山の中腹に後北条の小田原城はありました。山の一部を市が買い取り,数年前に八幡山古郭東曲輪と呼ばれる東斜面を公園として整備しました。マンション予定地だったものを市民運動の働きで市が買い取りに成功しました。小田原市民の知性の勝利でしょう。
EOS 5D Mark II + EF50mm f/1.2 L USM

まずはその公園に登ってみます。


お,八幡山古郭東曲輪跡から,眼下のイミテーション城を撮ったらモザイクがかかっています。…なーんて。実はこのとき観光用小田原城は工事中。地元の歴史ファンからは老朽化したコンクリート城を解体し,木造での再建を望む声もありますが,財政の苦しい小田原市としては応急の耐震工事を施すのが精一杯なのでしょう。
EOS 5D Mark II + EF50mm f/1.2 L USM


百段坂

八幡曲輪の標柱まで戻り,いよいよ小田原城に登城です。腰痛のボクの前に,地元で百段坂と呼ばれる階段が立ちはだかります。老犬タローがあえぎながらもずんずん登って行きます。脂汗を流して登るボクの横を,小田原高校の才媛たちがスカートを翻しながらひらりひらりと登り下りして行きます。実際には130段あるそうです。
EOS 5D Mark II + EF50mm f/1.2 L USM


三味線堀

坂を上りきると,広大な平地が広がっています。本曲輪を中心に,鍛冶曲輪,御前曲輪などの跡地ですが,実際にそこにあるのは石の標柱ばかりです。
EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM


本曲輪跡

実城のあったとされる本曲輪跡は名門小田原高校のキャンバスになっています。創立は1900年,校舎の着工と同時に次々と遺構が見つかりました。当時,すでに意識の高い住民からは保存を求める運動が起こったそうですが,建設は予定通りに進められました。いつの時代も官とゼネコンによる公共事業ほど自然や遺跡にとっての脅威はありません。八幡山の遺跡がそっくり保存されていれば今頃はきっと特級の世界遺産でしょう。箱根の湯を控えた小田原はアジア最大の一大歴史観光都市になっていたかもしれません。

明治政府とそこから派遣された官僚の無教養は,日本の芸術文化にとって,震災,空襲と並ぶ三大奇禍と言っても過言ではないと思うのです。

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM


毒榎平

鍛冶曲輪を抜けると,三の丸西側にあたる毒榎平(どくえだいら)です。

「油を採る油桐のことらしいんですけど,群生もなければ,栽培の記録もないんですよ。何でこんな地名がついたのでしょう。」



…と,クマさん。とまれ自然の残る市民の人気スポットでクマさんも子どもの頃には虫取りや探検によく来たそうです。


毒榎平の美しい雑木林の中をなおも登り,三の丸の西端を目指します。

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM


やがて明らかに人工物と思しき土手に突き当たりました。

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM


小峯御鐘ノ台大堀切

圧巻です。箱根外輪山から続く斜面を八幡山の尾根で断ち切った空堀です。ほとんど埋め立てられてしまっていますが,幾重かに分かれて三の丸西端の防御線となっていました。

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM


豊臣軍の襲来に備えて築かれた市中の堀とつながり,小田原城の総延長9kmを超える総構(そうがまえ)を構成しています。総構とは,城下町まで丸ごと堀や石垣で囲んで城郭の防御ライン内に組み込むという欧州的な発想で,先日のブラタモリではその原点は小田原にあるという仮説が紹介されていました。北条征伐攻城軍の武将たちが,国許に帰って自らの町を整備する際,この小田原を模したのではないかという推論でしたが,十分な説得力があり,状況証拠的にはほぼ真実に近いと思われます。

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM


江戸,大坂,金沢はじめ,日本中に残る城下町の原点,江戸の街並みがここから始まった…確かにこの堀の底を歩くとそれが実感されます。

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM


空堀遺構の南端まで来ると海が見えました。

「あそこあたりが…」

クマさんが逆光の山を指さしながら言います。

「…いつもご一緒するみかん畑ですよ。」

毎年初夏になると,ボクらはクマさん一家が懇意にしている農家が営むみかん園に招待されて,終日ミカン狩りを楽しんでいます。そのみかん園…石垣山の中腹にあります。

「ちょっと70-200貸して!!」

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM

もちろん,冗談のつもりで言ったのです。ボクが腰痛のために,とても望遠ズームを担いで来られなかったのを悔しがるジョークです。ところが,

「はい,どうぞ」

…と,クマさんがバックパックからEF70-200mmを出してきたからたまげました。

「いやあ,車にLレンズ置いて来るのは心配だったんで…。」

ボクとクマさんは同じEOSマウントを使っているのでレンズの貸し借りができます。道路の端まで行って,クマさんの指差すまま,その方向を200mmいっぱいで抜いてみました。この画像は電線を取るためにトリミングしているので実際はもう少し遠くに見えますが,印象的には谷を挟んで目の前の斜面です。


石垣山遠望

わかりますか?画面ほぼ中央の森です。三の丸からこの距離の斜面に巨大な城がみるみる築かれていっては,北条軍の士気が衰えるのも無理はありません。ここに立つと秀吉という武将の恐ろしさが実感されます。

EOS 5D Mark II + (クマさんの)EF70-200mm f/2.8 L USM

南にいま少し下るとまた広い平坦地があります。


三の丸外郭新堀土塁跡

こちらも最近,市が買収に成功し,歴史公園として公開されています。

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM


小峯御鐘ノ台大掘切東堀と平場の堀をつなぐ,総構の要となる場所です。箱根外輪山から相模湾を一望できる立地は見張り台としても重要な軍事拠点だったことでしょう。

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM

戊辰戦争後,この高台は陸軍元帥閑院宮載仁親王の別邸として接収されました。それは,仕方がない…戦争で負けたのだから,官軍に取られてしまうのは道理です。…がその後がいけません。何でも返却後に研修施設として外国に売られたようです。

「一般の人は立ち入り禁止で,妙な洋館が建っていたように記憶していますよ。」

…と,クマさんも証言しています。


おそらくは石垣に使われていたと思われる巨石が庭石として,和風,洋風と使いまわされ,今は,草むらに放置されています。


新堀土塁1跡

一段低いところにも大きな土塁が発掘されています。身も蓋もない名前がつけられています。ちなみに外国研修施設跡は土塁2です。名前はダサいけれど,特級の遺構です。歴代の市の無策によって,遺跡のほとんどは滅びてしまいましたが,地元の研究家や現代の市観光課や学芸員の努力によって,何とかロマンのかけらを後世につなげることができました。

EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4 L USM


八幡山を下ります。タローがへばったのではありません。ボクの腰痛がことのほかひどくて,5分歩いたら1分しゃがみこんで腰を伸ばします。一行はそれに合わせているので,なかなか進みません。

EOS 5D Mark II + EF50mm f/1.2 L USM


ようやくコンクリート城が見えて来ました。右手の塀は競輪場です。スタジアムは老朽化が激しく,城よりこちらの方が緊急に耐震工事が必要に見えます。

「どう見ても解体レベルなのですが,市の財政はこの競輪場が支えているいるようなものなので見て見ぬふりをするしかないのです。」

半ば自虐的な口調でクマさんが言います。地方都市の疲弊は深刻です。誰でも美味しい小田原の甘夏を食べたら,もう外国産のみかんは食べられないでしょう。でも,今,小田原のみかん農家は高齢化と不採算のために耕作放棄が進んでいます。TPPが正式発効すれば,みかん畑は10年で畑の遺跡になるでしょう。競輪場は外国人向けの公営カジノになるかもしれません。リゾートホテルのプールサイドに寝そべったリッチピーポーのカップルが「あの山の斜面は昔,一面のみかん畑だったらしいよ」「ふーん,そうなんだぁ」なんてね。


下山しました。今回の探訪はここまでにして,駅の東口に鯵の干物を買いに行きます。沼津の方の工場でほっぺの落ちるヤツを干し上げる店があるのです。15年ほど通っています。


それから今回はもう一箇所行きたい場所があって
クマさんにリクエストしてあります。

「そこならおしゃれ横丁の中ですよ。
干物屋の裏だから一緒に行きましょう。」

クマさん,今日はありがとう。

またそのうち海の方もよろしくね。


おしゃれ横丁…どのヘンがおしゃれなのかボクには理解に苦しむところです。


その中程,ポッシュ(和製英語の「セレブ」に近いニュアンス)という名のラブホの隣にある…



1坪ほどの小さな小さなスペースが今回最後の訪問地です。


伝・北条氏政,氏照墓所

秀吉は降伏した五代当主氏直を高野山に追放し,氏政,氏照の兄弟には切腹を命じます。二人は城下にあった侍医田村安斉邸で自刃しました。田村邸跡は何度も不明になりながら,その都度,地元の人々によって再発見されています。後北条家は代々,領民を大切にし,また領民から慕われていました。徹底抗戦したかったであろう氏政,氏照が降伏したのは,功を争って情け容赦ない攻撃をする豊臣連合軍から領民を守ろうとしたからであることは疑いありません。

吹くと吹く 風な恨みそ 花の春 もみじの残る 秋あればこそ(氏照時世)

EOS 5D Mark II + EF17-40mm f/4 L USM


中央の平らな石が,兄弟がこの上で自害したと伝えられる生害石です。

案内板に依れば,五輪塔は左より氏照,氏政,右の大きな塔は甲相駿三国同盟破棄によって離縁され,27才で早世した氏政夫人黄梅院(信玄の長女)の墓と伝えられています。政略結婚だったにも関わらず,氏政夫妻の仲のいかに睦まじかったかが偲ばれます。

EOS 5D Mark II + EF17-40mm f/4 L USM

 

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