津和野城

別名蕗城,霊亀山の頂を平らに全山要塞化した山城。


城郭構造:連郭式山城
公式HP:津和野町
年代: 1295年~1871年  主な城主: 吉見頼行 坂崎直盛
所在地:島根県鹿足郡津和野町後田
訪問日:2016年4月
駐車場情報:リフトに専用駐車場。登山者は太皷谷稲成神社の大駐車場をお借りするしかないです。

遺構満足度:★★★★  犬連れ快適度:★★★★


朝のうちに津和野の町を散歩しました。


朝ごはんです。

腹が減っては戦はできぬ。今日は津和野城に登ります。



こちら登山口です。



ほとんど利用する人はいないようです。がれきやごみを踏み越えて行きます。


10才になっても山に入ると先頭をゆくタロー,自分が隊長だと思っているので,後続が少しでも遅れると心配して戻ってきます。



なぜ登山道を使う人がほとんどいないかと言うとこういうわけです。脊椎管狭窄症ひどく,旅に出る前にブロック注射を受けてなんとか歩いている身としては空をゆくリフトは垂涎の交通機関なれど,犬を乗せてくれるとはとうてい思えません(笑)こっそりカメラバッグに忍ばせて乗るにはちと大き過ぎますし…。


テクテク歩きます。大型犬と旅する楽しみでもあります。


隊長,疲れて休憩です。後ろの大男もカメラの設定を直すフリをしていますがグロッキー状態です。



リフトを利用したルートと合流しました。しっかりヒールです。 織部丸が見えてきました。


織部丸

FUJIFILM X-E1 + XF18-55mm f2.8-4R LM OIS

坂崎氏時代に築かれた出丸で,名前は普請奉行を務めた家老の浮田織部の名に由来しています。

現在残る津和野城の遺構はほとんど坂崎直盛によって改修されたときのものだそうです。坂崎直盛,元の名を宇喜多直盛。豊臣五大老の宇喜多家の重臣でしたが,ブラック宇喜多時代の影をひきずっていたのか,秀家に疎まれて対立しました。そして仲裁した家康預かりとなったことから,関ケ原では東軍として武功を立て,遂に津和野城主となったのです。その際,家康に遠慮して宇喜多の姓を捨て坂崎姓を名乗りました。

大坂夏の陣では火焔の大阪城に飛び込み千姫の救出に成功して,一躍後婿候補筆頭となりました。ところがあわれ直盛。千姫にあっさりフラれて,かの「千姫事件」を引き起こし,江戸の藩邸で切腹,改易となりました。


はい,ウチの子は給水タイム。



もしも,この城に千姫が輿入れしていたらどんなことになったろう…などと空想しながら歩くのも城跡歩きの醍醐味です。



尾根伝いに南へ歩くと,行く手に巨大な石垣の遺構が現れました。たいへんな大きさです。


急な石段の失われた部分には足場が組まれて金属製のステップが設置されていますが,犬はこれがとても苦手です。 ドレミが一段一段声をかけます。

かつての東門にあたり,正面が天守台です。


坂道ならお手(…お足?)のもの。今度はドレミが危なっかしい。西門櫓跡から帰ってきたところです。


またまた,さりげなくばてている主従が見下ろしているのは西門跡です。



天守台の南を回り込むとさらに巨大な三十間台の石垣が現れました。


二手に分かれています。


FUJIFILM X-E1 + XF18-55mm f2.8-4R LM OIS
三十間台に先行したドレミとタローを三の丸から狙っています。手前は南へ突き出した人質郭と呼ばれる高石垣です。


Xperia Z Ultra
寒くもなく暑くもなく,津和野城三十間台に三人ぼっち,春風に吹かれる。

津和野城が築かれたのは13世紀末から14世紀にかけての鎌倉時代後半で築城主は吉見頼行。弘安の役後,再再度の元の襲来に備えるため,幕府に派遣されました。落成は2代吉見頼直のときの1324年です。その後吉見氏が14代にわたって居城としました。この間,1554年には陶晴賢の大軍に包囲されましたが攻略されませんでした。籠城戦は「三本松城の戦い」として伝わっています。


虎口から太鼓丸跡に下ります。


慎重に足場のステップを下りて下山します。


帰りももちろんてくてく。


途中,こんなキレイな道もあります。



EOS 5D Mark II + EF24mm f/1.4L USM

すっかりテーマパークのように整備されてしまった津和野の町ですが,外れに行けばそこそこかつての遺構も残っています。

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