岡豊城

長宗我部元親居城。


城郭構造:連郭式山城
公式HP:高知市歴史民俗資料館
年代: 12??年~1591年  主な城主: 長宗我部元親
所在地:高知県南国市岡豊町八幡
訪問日:2007年4月
駐車場情報:歴史民俗資料館駐車場。

遺構満足度:★★  犬連れ快適度:★★★★


岡豊山の中腹に鉄筋コンクリートの高知市歴史民俗資料館が開館したのは1991年の5月だそうですから,ボクたちが初めて岡豊城跡を訪ねたのは開館直後の夏ということになります。

当時,高知市内では長宗我部の長の字すら見かけることは稀で,一般の観光客が史跡を訪ねるのは至難の業でした。もちろん今のようにネットの情報やグーグルマップがあるわけもなく,途方にくれたボクは市内の史跡の場所を確かめようと歴史民俗資料館を目指して来て,それが岡豊城跡と同じ場所だと初めて知ったのでした。

たぶんとても暑い夏でしたが,ボクたちはそれを苦痛と感じるには若すぎました。浜で寝転び,停めた車の中で抱き合って眠り,そしてビーチサンダルで史跡を訪ねていました。


ある春旅の最終日だったこの日に岡豊城跡を再訪したのは懐かしい思い出の感傷に浸る面も少しはありましたが,主にはソメイヨシノにまだ間に合うと思ったからです。


サクラはすっかり葉桜となっていました。そして15年ぶりに訪ねた城跡は見違えるほどに整備されていました。


城の東側の展望,剣山地が遠望されます。


二の段と呼ばれる曲輪に残る大堀切の跡です。



詰の跡。詰は城の中心に位置する曲輪で本丸にあたります。 天守に似た構造の建造物が建っていた可能性が強いそうです。


その建造物の礎石です。四国全土に覇を唱えた長宗我部元親の居城…その僅かな痕跡。


EOS 20D + EF17-40mm f/4L USM
詰から八重桜越しに南西の展望が開けています。浦戸湾や国分川の交通を監視するのに適していたと思われます。


EOS 20D + EF17-40mm f/4L USM
岡豊城は蛇紋岩でできた岡豊山が国分川に浸食されてできた崖の上に位置しています。蛇行する国分川に三方を囲まれた堅牢な自然要塞でしたが,やがて元親が浦戸城に本拠を移したため廃城となりました。秀吉に屈したために京都や遠方の戦地に赴くことが頻繁となり岡豊が不便になったからでしょう。元親が大水軍を率いて小田原征伐に参戦した翌年のことでした。


その小田原に残る一夜城跡石垣山の斜面にも初夏になるとシャガの花が一面に咲きます。南国土佐の岡豊城跡は四月初めに早くもシャガで埋まっていました。


三の段の石垣です。


EOS 20D + EF70-200mm f/4L USM

四の段。石碑の揮毫は元土佐勤皇党の志士田中光顕とあります。


EOS 20D + EF17-40mm f/4L USM

東京へ帰る時間が来ました。飛行機の時間ではありません。犬を連れているので四国を縦断し,瀬戸大橋から名神,東名と走って帰るのです。


EOS 20D + EF17-40mm f/4L USM

この稿をまとめている2017年現在,城跡にはイミテーションの櫓が上がり,イケメンんの元親像が七つ片喰の旗に囲まれて建っているという専らの噂です。ゲームの力か歴女のブームか,いずれにしろ有名な城を訪ねるのが少々気恥ずかしくなるようなこの頃です。

crap ←「拍手ボタン」です。このコンテンツをお気に召されましたらクリックをお願いします。