飫肥城

日向・薩摩の争奪戦


城郭構造:群郭式平山城
公式HP:飫肥城下町保存会
年代: 南北朝時代?~1871年
主な城主: 土持氏,伊東氏
所在地:宮崎県日南市飫肥10丁目1
訪問日:2014年4月
駐車場情報:飫肥城観光駐車場

遺構満足度:★  犬連れ快適度:★★★


飫肥城は江戸時代のたいていの城と運命を同じくして維新後に徹底的に破却されましたが石垣はほぼ無傷で残ったそうです。驚くほど精緻で頑強な石積みです。破壊しようにもできなかったのでしょう。九州にあったこの石工技術が継承されずに途絶えたとはまこと残念なことです。現在は建築物も観光用に丁寧に復元されていますがそれも石垣の保存状態がよかったからでしょう。

1978年に復元された大手門の前で記念写真。鉄筋コンクリートではありません。当時で樹齢100年を超えていた飫肥杉4本が使用されたそうです。木造の渡櫓(とろ)に本瓦葺きは江戸時代の姿を再現。

出ました!!これが噂の大桝形です。

何をしているかわかりますか。そう,しあわせ杉のパワースポットに立っています。4隅に植えられた飫肥杉の作る方形の対角線の交点に立って幸せを願うと叶うそうです。どうか幸せがずっと続きますように…。この日から3年8カ月後に息子は空に行ってしまいました。長かったのか,短かったのか…果たして願いは叶ったのでしょうか。

復元とは思えないほどいい感じに落ち着いた旧本丸の門。

飫肥城は島津氏の北方前線基地として日向最南部に築城されたため日向の伊東氏と島津氏の争奪戦となりました。伊東氏は秀吉の九州征伐や関ケ原の戦いにおいて島津氏と敵対することで結果的に中央政権の勝者に与し,ついには飫肥の手に入れます。

旧本丸跡は今やご覧の杉林です。飫肥杉の美しさ。


殿さまポーズ♪



石碑…よ,読めません。


空堀


毎度おなじみ,妻は解説の看板を熟読しています。



飫肥は若い頃,真夏に旅した思い出の町。息子を連れて再訪するのはまた格別の思いがあります。



街並みは美しいままですが雰囲気は少し変わりました。10年前は町中に挨拶であふれていました。旅行者にも分け隔てなく老若男女が声をかける街だったのです。今の時代には難しいのかもしれません。



お昼に飫肥天を食べようということになりました。息子は木陰で待ってました。



飫肥天定食で飫肥城探訪の打ち上げです。