40分間のできごと

Dec, 2014

車を停めて着膨れするほど重ね着する.特に腰回りにはフリースを巻きつけて防寒する.機材を担いで公園を横切る間に汗ばんでくるほどだが後のことを思うと仕方ない.真冬ではないものの,じっとしていると底冷えしてくるくらいの気候ではある.城南島の堤防の端に陣取って三脚を組み立て始める.どんな楽しいところへ行くのかと,わくわくスキップしながらまとわりついていたタローがそれを見て目を点にした.それから力なく,どたりと三脚の脚元に崩れ落ちてしてしまった.今,マイブームになっている明合成ソフトを使った星の光跡撮影が始まる.ドレミは先に帰して職場から直接,恐竜橋を渡ってきた.

まず,最初に遠くの被写体にピントを合わせる.被写体は十分に遠くなくてはならない.近すぎると肝心の星が丸ボケになってしまう.今夜のレインボーブリッジのように明るいときにはAFで取ってからMFにして固定すればよいが,山や木のように暗い場合は厄介である.無限遠ちょい手前から勘を頼りに10秒ほどで撮影してはモニターでズームして確かめることを繰り返しながら近づけていく.不思議なことに,距離表示の∞はちっとも無限遠でないから厄介だ.

ピンが取れたら次は露出とフレーミング.感度は100か200.絞りは開放近く,シャッター速度は長いほどよいが,被写体が真っ白になっては台無しなのでこれも実際に切って確かめる.この時点で(東京の秋の場合)肉眼では星はひとつも見えない.空の光跡は全く当てずっぽうである.帰宅して,現像して,合成作業が半分くらい進んでからやっと見えてくる.この夜は北天を狙ったので,北極星が入らないと間が抜けてしまう.方位はスマホのコンパスがあるが,高度は全くの勘頼りだ.

その他明合成のための準備をいくつかしたあと,いよいよ撮影開始となる.マニュアルの連写モードでレリーズを押下固定する.カメラが正確にシャッターを切り始める.スマホで時間を見る.バルブ撮影と違って,時間の長短が露出には影響しないので,このへんはアバウト,気楽でいい.が,星の日周運動は2時間でも30度,時計の文字盤の数字ひとつ分にしかならないのである.あれこれ試してみたが,20分では光跡と言うより糸屑にしか見えない.30分でも短い.かと言って1時間となると,ちょっとキツい.何しろいつも残業で10時過ぎに職場を出ての帰り道なのである.40分というのはそんな事情から自然と導き出された数値である.

あとは待つばかり.布製のスツールを組み立て,職場を出るときにユニマットで落としてポットに詰めたコーヒーをふうふう啜る.ドレミが焼いたクッキーはもう少しあとに取っておく.

そのときである.西の方でごおっという爆音が起こったかと思う間もなく,頭の上を大きな旅客機が通過した.11時近くである.まだ羽田空港を発つ便がある.それが旋回して画角に入ってきた.

あちゃー!北極星予定地を飛んでいくよ.つぶれてないといいけど.

光跡撮影では光を点滅させながら画面を横切るヒコーキは邪魔者である.はらはら見守る中を光の点滅がようやく闇に消えたと思いきや,今度は目の前の海に巨大な客船が現れた.大井埠頭を出港したのか,まばゆい光を発しながら,ゆっくりとフレーム内を横切ってゆく.今度は確実にアウトである.果たして合成画面では夜景のほとんどが,船の灯りで塗りつぶされてしまった.仕方ないので,夜景部分は第一フレームの画像を改めて合成してある.これはさすがにやむをえない処置であろう.

ぴぽ!

ウエストポーチに入れてある笛つきボールを鳴らすと,タローがむっくりと首をもたげる.しばしタローのボール遊びタイムである.気温が低いのでタローもばてることなく,夢中でフェッチ(投げたボールを回収してくる遊び)を続ける.三たび興奮ぎみのタローがボールをくわえて戻って来たそのときである.今度は釣り人が三脚よりさらに堤防の端の方に竿を投げようとしてやってきたのが見えた.

うわー!!すみませーん.そこ!!

…カメラに入るんです!!…魚眼レンズの画角は広い.バルブ撮影とちがって,人がフレーム内で10秒ほどじっとすれば,明合成でははくっきりと浮かび上がってしまう.

「ああ,なんだ,カメラだったのか.わしはすっかり釣りかと思ったよ.…なんと…?目には見えない星を撮ってる?そらまた酔狂な…」

釣り人の感想はもっともである.それでも快く画角から外れてくれた.釣り人は暫く,イシダイの顎の強さ,それを釣ったときの手ごたえなどを自慢していたが,話す相手がそつなく相槌を打ちながらも,実は全く釣りに興味がないとわかって話題を変え出した.

「利口な犬だなあ.吠えもしないし,逃げもしない.しつけがいいんだな.」

…いえ,利口とかしつけとかではなく,こういう犬種なのです.

もちろん,謙遜である(笑)釣り人の話は思わぬ展開になってゆく.曰く,犬も色々だが,人も色々である.すぐ怒る人種は愚かである.馬鹿者である.怒っても意味がない…という趣旨で話は続く.

なるほどおっしゃるとおりです.

ボクは基本,聞き上手である.釣り人はテンションを上げ,川内原発の再稼動,羽田空港の新しい発着コース,中国人観光客のマナーと次々と矛先を変えながら怒りをぶちまけ始めた.

いや,ご老体.怒る人は愚か者なのでは…

…などとつっこむゆとりなどあろうはずもない.怒りの対象はとうとう日本における共産主義にまで及んだ.

クッキーを食べたり,スマホで友だちにメールしたり,タローと遊んだり…あれこれ40分の間にやろうと考えてきた楽しみは,老釣り人の演説のためにみんな中止となった.予定時間を過ぎてから最初のシャッター音でレリーズの固定を解除する.尚も怒り続ける釣り人へのお暇乞いもそこそこに,機材を片付けて車に向かう.ほっとしながらついてくるタローの足取りも軽い.どんな星が撮れているか,わくわくしながら環七を澁谷方面に向かう.

もう,先にお風呂入るよー.

ちょうど12時を回る頃,ドレミがスマホにメッセージをよこしてきた.

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