かくれた名医

May, 2007

連休に傷めた右目がここ一週間ほどまた染みるように痛むので,とうとう眼科を受診することにした。強い日差しがキャンバスに反射して傷めたものと思って我慢していたが素人診断はよくない。

なぜ,医者に行くのを躊躇っていたのかと言うと,実は3月頃,右目に違和感を覚えてすぐに近所の眼科を受診したときの経験からだった。

診察の前にさんざん併設の眼鏡屋さんによる視力検査があり,肝心の医者の診察は1分ほどであっさり「異常なし」と言われ目薬を処方された。その後も違和感が続き,連休の故障につながったので,つい不信感もあって,市販の目薬で炎症を抑まるのを待っていた。

ゆうべはいよいよ痛みに耐えかねて眼科を検索した。新宿周辺にもやたらに眼科はあるが,どれもコンタクトレンズ店付属医院ばかりがヒットする。HPを開くと,豪華な受付に美人のスタッフがにっこり笑っている写真ばかりだ。

「こうゆうんじゃなくって,フツーの目医者はないのかー!!」

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紹介状なしで総合病院に行こうかとあきらめかけたとき,「丁寧な女医さん,隠れた名医うんぬん」という口コミサイトの書き込みに目が止まった。早稲田にある小さな医院でHPもないが総合病院の指定医院にもなっている。早稲田はうちからのアクセスが良くないが,藁にもすがる思いで出かけた。

 

診察開始時間には30分ほどおくれてしまったので,路上パーキングはあきらめて少し離れたところに見つけた駐車場に車を入れた。40分という路上パーキングの制限時間はとうてい眼科の待ち時間や検査時間には足りないだろうと覚悟してのことだ。

商店街まで歩いて戻り,眼科の看板が小さく出ている路地を入るとフラワーポットやプランターがところ狭しと並んでいる。色とりどりの花の前には女性が二人しゃがみこんでおしゃべりをしていた。

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その奥に人気のない病院の入り口があったので歩み寄ると,くだんの女性がそろって立ち上がった。

「あ,あの,ここ目医者さんですよね?」
「あ,患者さんね。どうぞどうぞ。」

二人といっしょに玄関を入ると,どたばたと電気がついた。どうやらボクが来たので30分遅れで開院ということになったらしい。一人がくるりと受付に回って小窓のカーテンを開けた。

「学生証と保険証出してくださいね。」
「え?」

早稲田大学のキャンバスに囲まれた場所にあるとは言え,大学生に見られるとはまんざら悪い気はしない。受付嬢のお世辞がこんなに上手なのだからもうちょっと,病院もはやってよさそうなものだ。

こじんまりした待合室のいかにも病院らしい壁に植物の水彩画が数点かけてある。いわゆるボタニカルアートと呼ぶには,線や色の切れ味が鋭すぎる。思わず痛む目をこすりながら見入ると「R.Koiso」とサインがしてある。

「ん?」

なおも目をこらすと精密な複製画らしいことがわかった。ほどなく機械類が立ち上ったようで,診察室に招じ入れられた。さっきまで植木鉢の前にしゃがんでいたおばさん…もとい,女医さんは,2月以来の症状を熱心に聴いてから,すぐに目の診察を始めた。そして

「ここ数日の痛みの原因はこれです。」

と,モニターを指し示した。画面いっぱいに一本の抜けたまつげが写し出されていた。その先端が目につきささっている。

「じっとしててください。」

ピンセットでつんっとそれを抜き取った。それから何度か首をかしげながらさらに二度,何かを抜いた。痛みが嘘のようにすっと消えた。

「何かしら…。仕事でガラス繊維のようなものを扱ってますか?」
「いいえ」
「ガラス質のものがあと二箇所にささっていました。」
「ええ?じゃあ,2月からずっとささってたんですか?」
「それは違います。この傷は…」

モニターの黒目に白い点々がたくさんついている。

「そんなに古いものではなく,ここひと月間についたものですね。」

最初の痛みは疲労で目が弱っているところに長時間紫外線を浴びて炎症を起こしたためだろうと言う。

「雪目って知ってる?」
「スキーなんかで,目を傷めるあれですか?」
「そう,八ヶ岳のように標高の高い山では紫外線も強いのよ。」

炎症が治まるまでに,どうしても目をこすったりするので,異物がささることがあるらしい。さらにその痛みから目をさわるうちに,まつげまでがささったものらしい。それだけの痛みがあれば,普通は異物を疑って誰かに見てもらうので,すぐに発見されるのだが,頭から目の炎症だと思いこんでいたのが仇になったわけだ。痛みと一緒に疑問も不安も一気に消えた。

「絵,見てたでしょ。小磯先生の絵よ。植物画なんて珍しいでしょ。」

どうやら気配でボクが待合室の複製画に興味を持ったことに気付いていたらしい。このおばさん…もとい女医さん,ただものではない。

「確かにサインが小磯さんのものでしたが…」
「たぶん,若い頃にお金に困って医師会の注文に応じられたのね。印刷されて医師会員に配布されたのよ。」

…い,いつのものなんだー!!

「世に出てませんね。初めて見ました。」
「医師会のお偉いさんが秘蔵してるんでしょ。永久に出ないと思うわ。」
「はあ。」
「外で絵を描くときはつばのある帽子をかぶってくださいね。」

診察は雑談を入れても5分ほどで終わった。

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薬の処方箋をもらって外に出ると,久々に目の痛みから解放されて心まで軽くなった。駐車場は穴八幡をはさんで医院と反対側だったので境内を散歩したりする。石段を下りながら,「今頃はふたりともまた外に出て,鉢植の前に戻っておしゃべりしてるんだろうな。」と思ったらつい笑みがこぼれた。

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