とんぼ

Jly, 2005

玄関を出るとボクのBB4プレリュードの天井に,真っ青な体のトンボが羽を休めていた。ステンドグラスのような模様の羽がきらきらきらきらと真夏の太陽を照り返す。妻のドレミとボクはしばらくカバンやらお弁当やらを両手に提げたまま,その白い光に見とれていたが,

「シオカラに車とられてきょうはお休み」

字余り…と,いうわけにもいかないので,やがてどちらからともなく車に歩み寄った。トンボはすいっと飛んだが逃げることなく,ドアを開けたてするボクたちのそばを飛び回る。

どこから来たのだろうか,玉川上水が埋め立てられてからこっち,家の近くでトンボを見ることはめったにない。エンジンをかけると,ガレージの支柱にとまった。

「連れてってほしいのかな」

カバンを後部座席に置いたドレミがトンボの前で人指し指をくるくる回し始めた。フロントガラス越しに見ていると,くるくる指は2cmに近づき,反対の手が羽をはさめる位置にせまった。

せつな,ドレミの指がわずかにためらい,トンボはちょっと飛んでまたもとの位置にとまった。ドレミが戻ってきて車のドアを閉めた。

「いざとなると,つかまえるのがこわかったんだろ」
「ふふっ」

とんぼをおどかさないように2速でそっと車を出すと,バックミラーの中で羽のきらきらが空に去った。

甲州街道はいつものように新宿駅南口で渋滞している。今年の夏休みも時間はたっぷり,お金はちょびっっっと。そこでまたまた放浪しようと計画している。どうせならなるべく遠く,北海道か九州のどちらにしようかと相談するのも出勤のときの楽しみだ。どうせ行き当たりばったり,フェリーはキャンセル待ちの旅なので,前日になってもたいてい決まらない。

ふとどこからか懐かしい声が聞こえた。

「なんねー,Shuちゃんはー。たまには熊本ばこんねー。」

トンボは亡くなった人の霊が懐かしい人に会いに来るときの姿だと,友人のWEB日記に書いてあったっけ。

きっと熊本のおばさんだったんだ。

母方の叔母は,なぜかドレミをとてもかわいがってくれた。三年前の残暑の頃,熊本にかけつけていた母から訃報を聞いたとき,ボクたちは会社を移転したばかりでお金がなく,貯金箱を割ってようやくボク一人分の飛行機代を工面した。

渋滞を抜けたところでボクはドレミに言った。

「夏休みの行き先は九州に決めたぞ」
「うん♪おばさんのお墓行ける?」

同じことを考えていたのか。

どうやら,おばさんはボクではなく,彼女に会いにきていたらしい。

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