かっきまわす

Apr, 2008

春,しらべ荘の畑の準備が始まる。カーネーションの鉢を携えて深夜の中央道をやってきたボクたちの魂胆は,母の日のプレゼントをお金のかからない勤労奉仕で済まそうというセコいもの。小さい子がお母さんに贈る肩たたき券に似ている。

心配事がひとつある。15年間ずっと畑のサポートをしてくれている「レタスのおじさん」の体調不良だ。

野菜作りの名人である。それは農協のお墨付きで,全盛期,彼の出荷する作物は検品に回らずノーチェックで特級品に分類されていたそうだ。

並外れた几帳面な性格なので,作物の植え付けも1cmとずれることがなく,整然としたおじさんの畑は遠目からもすぐにそれとわかる。


しらべ荘の奥に山林を持っていて,レタスのおじさんの土地だけがきちんと手入れされた美林となっている。その林の下草を刈りに来たときに,新築したばかりたったしらべ荘の前を通り,挨拶を交わして知り合った。お茶のお礼にと,その日の夕方,芸術品のようなレタスを持ってきてくれた。それが愛称の由来だ。

以来,母は知り合った農家の人に次々と最初にもらった野菜や花の愛称をつけたが,「ほうれん草のおじさん」と「大根のおじさん」はすでに亡くなったし,「セロリ」も「白菜」も「キャベツ」も畑に出なくなり,会うこともなくなった。しらべ荘を建てて15年の歳月が流れている。

レタスのおじさんは無口で頑固なので,近所付き合いも少ないが,不思議に母やドレミとはウマが合う。我が家とはまるで親戚のような間柄である。

ところが,この春,原村に戻った母が会いにゆくと,おじさんが杖をついてふらふらしていたと言う。レタスのおばさん(おじさんの奥さん)の話では,町に住む息子さんや娘さんも心配して,もう機械を運転するのは危ないから,今年は畑仕事を止めさせようという相談になっていたそうだ。

それで母も今年は畑をやらないことに決めていた。耕運機は頼めば菊池華田のナカタくんでもきっと快く引き受けてくれるだろう。だが,認知症が進んでいる父はもう全く畑を手伝う意欲がないので,実際母だけの手には余るし,何よりレタスのおじさんあっての畑なのである。

ところがレタスのおじさんは周囲の反対を押し切って,今年も野菜作りの準備に入った。そして自分の畑を「かきまわす」のは息子に頼んだとしても

「しらべ荘だけはどうにもワシが自分でやる」

と言うのだそうだ。

畑に耕運機をかけることを諏訪あたりでは「かきまわす」と言う。イントネーションが少々難しい。第一音節の「か」にアクセントが集中する。「かっきまわす」だ。

今年,ボクとドレミが勤労奉仕に出掛けて来るまでにはこれだけの経緯があったのだが,さらに先週になって事件が起こった。レタスのおばさんが胃の持病に倒れ,救急車で病院に運ばれたのである。入院は嫌がって,痛みがひくと自宅に帰って寝ているらしい。

「それじゃあやっぱり,今年は畑はあきらめて花でも植えようか。」

ボクは母と相談した。畑はともかく,まずはおばさんのお見舞いに行こうと話しているところに,オシャレなクラシック軽トラに乗って,当のおばさんが現れたものだからボクらはぶったまげた。

「おばさん,出歩いたりして大丈夫なんですか。」
「お宅の畑が心配で,はあ,寝てもいられんくてさあ。」

足取りも声も弱々しい。

「おとうさん(おじさんのこと)が様子見てくるて言うだでね,あたしが見に行くってって。」

おばさんはそう言いながら,鍬で畑の土を起こしてチェックしている。やがて

「あたしも午前中はまだ足がふらふらするだけども,午後はしゃんとするからね,3時にお父さんとかきまわしに来るがいいかね。」

と言って帰って行った。

おばさんがそう言った限りは,雪が降ろうと槍が降ろうとおじさんはやってくる。ボクらは直ちに畑の草取りを始めた。ハウスにもビニールをかける。このハウスも15年前にレタスのおじさんが建ててくれたものだ。当時,あまりに几帳面な測り方に母はたまらずに大笑いした。

昼食もそこそこに作業したので,どうにか畑の草は取り終えた。3時きっかり,確かに午前中よりずっとしっかりとした足取りで,おばさんが軽トラから降りて来た。

「ごめんねえ,どこか出掛けたかったんでしょ,ありがとう,ごめんねえ。」

草のなくなった畑を見てボクとドレミをねぎらってくれる。ボクらは母の畑に無償で耕運機をかけてもらう立場なので返事に窮すること甚だしい。

「とんでもないです。こちらこそすみません。」
「いい土だねえ。石ころの山にこんな畑があるなんて誰も思わないだで。」

 

そのはずである。これもちょうど15年前,村の区画整理でレタスのおじさんの畑のうちの一カ所が代替地に移転を余儀なくされた。

「若い衆(わかいしゅ)!」

と,おじさんはボクのことをそう呼ぶ。

「この畑の土をおめえさんとこの畑に運びなさい。」

丹精こめた土が整地されて,田んぼや道路になることが我慢できなかったのだろう。おじさんは役場に掛け合って,土をしらべ荘に運ぶことを半ば強引に認めさせた。業者から買った土にボクが運んだ畑の土を鍬き込んだおじさんは,それからずっと土の管理をしている。試薬でpH値を測り,追い土や肥料,灰などの配合を母に指示し続けた。だから自慢ではないが,しらべ荘の畑ほどの土は村の専業農家でもちょっとやそっと持ってはいない。

おばさんが母の持ってきた肥料をざるに準備しながら,ハウスの仕上げをしているボクのところへ来た。

「お兄ちゃん」

おばさんはボクをそう呼ぶ。

「そこ,しわが寄ってるだよ。」
「は,はい!すぐ直します!」

おばさんも几帳面である。何しろ,あのおじさんと60年近くコンビを組んでいるのだ。

そこにカタカタカタカタとエンジン音が聞こえてきて,トラクターに乗ったおじさんが到着した。おじさんは姿勢がいい。若いときに林野庁に勤めていて背骨を傷めてしまった。その手術で背中に金属を入れたので,いい姿勢のままでしかいられないのだ。だから歩くときも,まるでサンダーバードの人形のようにひょこひょことなってしまう。その様子の愛らしさがドレミのファン心理をいっそうくすぐるのだ。

おじさんはいつものように片手を上げて敬礼のような挨拶しながら,スピードを緩めることなくトラクターを畑に乗り入れた。背中の傷もあって,体をねじることがあまりできないので,おじさんはもともとトラクターの運転が下手である。この日はいっそう危なっかしい。おばさんや息子さんたちが心配するのも道理である。父と同じ85才,父は車の運転どころかもうおじさんやおばさんが誰かも分からない。

トラクターがかきまわす先でおばさんが見事な手つきで鍬き込む肥料を撒いて歩く。ボクはその姿をずっと撮り続けた。もしかしたらトラクターを操るおじさんの勇姿をボクが見るのはこれが最後になるかもしれない。

端っこまで丁寧にかきまわし終えると,おじさんはまたそのまま畑からトラクターを出して道の方へ進んでゆく。ボクとドレミを見て今度は帽子を取ってにっこり笑い,敬礼のような挨拶をすると,もう真っ直ぐに前しか見ないで進んでゆく。

「お茶でも…」

などと言っても無駄である。よほどのことがない限り,顔の前で手を振って断るだけだ。

「せめて…」

と,菓子や果物などを手渡そうなどとしたらそれこそ大変である。

「こんなことをしたらワシは来年から来ない!」

と叱られるのだ。傾きかけた日差しの中をおじさんのトラクターはカタカタカタと下ってゆく。


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