2011/7/7

日曜日の昼前に妻が所用で出かけた。ふだんは休日のほとんどを一緒に過ごしているボクたち夫婦にとって,これは半年に一度あるかないかの稀有なことだ。

妻が出掛けてから暫くしてボクも徐(おもむろ)に駅へと向かう。妻とは共有できない愉しみのため,言わば「お忍び」の外出である。

むふふふ。

電車の中で思わずひとりほくそ笑む。 image1

下北沢駅の駅舎はボクの知る限り,少なくとも40年間変わらない(2011年7月現在)。井の頭線を降りると小田急線のホーム脇を通って南口の改札を出る。ボクにとっては,高校時代にほとんど毎日途中下車して遊んだ思い出の街だ。

駅舎とは対照的に,迷路のように込み入った街は日々変化して留まることがない。まるで街自体が刺激と変化を貪るかのように,飲食店や雑貨屋が数年単位で入れ替わり,独特のカオスを作っている。

高校生のとき,親友と町中の喫茶店のコーヒーを飲み歩き,ガイドマップを発行して儲けようと企んだのだが70数件までで諦めた。すでに調査済みの店のうち一割ほどが閉店して同じ数の店が開店していたからだ。

そんな商店街の中ほどに,その頃から現在まで全く変わらない佇まいの洋食屋がある。 image2

ボクの秘密の愉しみ「キッチン南海」である。間口一間。廊下のようなスペースにカウンター席が7つ。キッチン南海の店内は,まるで35年前にタイムスリップしたかのように変わらない。ボクは一番奥の席に座ってビールを注文した。

目の前の壁に棚が設えてあり,業務用の缶が並べられている。S&Bのカレー粉,ハインツのデミグラスソース,カゴメのケチャップ。他にはポスター一枚飾られていない店内で,このありふれた調味料のディスプレイが語りかけてくるメッセージは明らかだ。

即ち

「特別なものは一切使ってない。ウデだけで勝負」

…というわけであろう。

テーブルの上にもブルドッグの中濃ソースとギャバンと思われる溶き辛子しか置かれていない。改めて見るとそこに凄みすら感じる。下北沢は演劇小屋やギャラリーが集まり,前衛的な芸術とファッションを発信し続ける街だ。店も人々も個性を競うようにして集まってくる。その中にあって,言わば「ニュートラル」を標榜する普通の洋食店が生き残るのは並大抵のことではない。

マスターが大きな采箸で二度空間をはさんでからトンと油の中をつついた。ボクがオーダーしたヒラメ・メンチの揚げあがりが近い。カウンターの上に皿が用意される。采箸の動きがリズミカルになるほどに,緊張感が漲ってくる。

シュッ!

ヒラメフライの一切れ目がはさみ上げられた。箸先がきっぱりと宙で静止し0.5秒ほどの間をおく。揚げ物の油がスッと切れたところでカラリと網に置かれる。まるで武道の「形」でも見るような隙のない動作が三度繰り返された。 image3

ボクはパセリの添えられていないカツを正式なトンカツとは認めていない。パセリの強い清涼感をどのタイミングで使うかはカツライスを食べる上で重要なポイントであり,且つ醍醐味であるからだ。

付け合わせは千切りキャベツとプレーンなナポリタン。ライスは19cm皿にアスピーテ盛りである。これらパセリ以外のアイテムについては,パセリほど必須ではないが守りたい様式美ではある。

ここまで熱くカツライスを語りながら,肝心のボクが白身の魚フライとメンチカツ盛り合わせとは情けない限りである。だが若干夏バテ気味である。昼からカツライスを平らげるにはいささか若さも不足している。ヒトが摂取可能な肉類の目安は「素手で殺せる動物」だという説をどこかで読んだことがある。けだるい休日の午後,ボクの体力では鶏にも逆襲されそうだ。ヒラメ・メンチが分相応である。

そうこうするうちに先客は去り,代わってボクの隣にはいかにもオタク系の女子高生が二人連れで座り,入り口付近には若いサラリーマンとやたら身なりのよい管理職らしき中年男が前後して入店した。誰もが常連のふるまいである。キッチン南海の客層は相変わらず幅広い。

二人の女子高生はそれぞれ自分の目の前にあるメニューやソース瓶をじっと見つめたまま,互いには決して目を合わせずにコミケや声優の話をしている。しかも相手の話は静かに聞いているのにもかかわらず,話題は全く噛み合っていない。要するにボクの苦手な典型的アニメオタクだがキッチン南海の常連というだけで親近感が湧いてくるから不思議だ。しかも真横の女子高生が

「オムライスください。」

と注文したものだから,ボクは思わず心の中で喝采した。

体力絶倫の中年男と女子高生のひとりに特製ソースをたっぷっりかけたカツライスが供されて,いよいよ隣の子が注文したオムライスのために,中華鍋でチキンライスがあおられる。激しくも無駄のない動き。ジャジャっとライスやケチャップが鍋肌で焼ける小気味よい音と玉杓子が鍋をたたく高い音がリズミカルに拍子を取る。

じゃっじゃっとんっとーん、じゃっじゃっとんっとーん

…舞だ。

もはやそれは舞踊である。ボクはヒラメフライでビールをやりながら,久しぶりにそのパフォーマンスに酔いしれた。オムライスを注文してくれたオタク女子高生は調理には興味を示さず,ソース瓶を見つめながら独り言のようにひたすらアニメ話をしている。むろん一方的に話す形になっているのは,相手の子がカツライスを間断なく咀嚼するのに追われているからである。これもまたキッチン南海の風景だろう。

ボクは満足して会計を頼みながら立ち上がった。

「ありがとうございました」

と,マスターが言う。当然ながらずいぶんと年を取った。昔からこのマスターと話をしたことがない。ボクだけでなく,常連客でも親しく話しているのを見たことがない。決して愛想が悪いわけではなくいつもニコニコしているのだが,いかにも話が苦手らしいので誰もがあえて話し掛けたりしないのだろう。

だが,この日ボクは,ふとキッチン南海がいつまで続くのか聞いてみたくなった。街にはこれまでにない大規模な再開発の噂がある。本当か嘘か小田急線が地下に潜るという説まである。何だか今度下北沢に来たら,店は跡形もなくなっているような不安が急に襲ってきたのである。

しかし,どう切り出したらよいものか迷っているうちにタイミングを逸してしまった。狭いカウンター席で,一番奥のボクが立ち上がったものだから,女子高生も中年男もサラリーマンもテーブルにハラをつけるように椅子を引いてボクが通るのを待っている。ボクは仕方なく「ごちそうさま」とだけ言ってつり銭を受け取り,客たちに頭を下げながら出口に急いだ。

そして最後に振り向いたときに見たのだ。

一番奥の天井近くに釣られた棚。そこにつけっぱなしで置かれているテレビが液晶BRAVIAになっているのを…。ボクの席からは,ほぼ頭の上なので気づかなかった。そもそもテレビは客のためでなく,G党のマスターが仕事をしながらナイター中継を見るために設置されているようなものだ。夏以降,もし原ジャイアンツが巻き返したとしても,もうそれをアナログ放送で応援することはできない。ボクは目を凝らして画面を見た。果してBRAVIAは地上デジタル放送を受信していた。

やる気だ。

マスターはまだまだやる気だ。もし引退するつもりなら,テレビをデジタル化する必要はない。ボクはホッとして店を出て駅に向かった。坂道を登る足取りも何となく軽かった。

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