名神高速でここを通るたび,どんなところか一度は訪ねてみたいと思っていた。そのまま心に描いた場所にしておけばよかったかもしれない。
中国大返しを果たした秀吉軍と光秀軍が蛇行する淀川,宇治川をはさんで対峙した。1582 (天正10)年6月13日。本能寺の変からわずか11日後の午後4時であった。
山崎城跡から西に抜けて亀岡泊の予定だったが,台風22号の影響で風雨がいよいよ激しくなってきた。
明智軍に倣って今回の秋旅はここで撤退することにしよう。さて,ドレミがリクエストの「せめて京都のお土産!」…は嵐の中でどこに買いにいこうか。
両手に大きな袋を抱えたドレミが鬼の首を取ったような顔で山崎のスーパーから出て来る。
京野菜どっさり,八つ橋,京都なカップ麺…自慢げに戦利品を解説する。
京都では塚と角と藪と高架下しか連れて行かなかったのにこんなに楽しそうにしてくれるんだ。もしかしたらボクはとても女房に恵まれているのかもしれない。
立ち寄り湯の食堂で豪勢にも近江牛すきを食べた。
もっとも牛は一人前でもう一人前は山菜そば。それを二人で分けた。
予定を変更して名古屋方面の知人を訪ねることになったので急遽車泊となったからだ。 車泊は,2年前早朝の鹿撮影を狙った奈良以来のことだ。
台風は夜半に通過し,朝には晴れ間が広がった。こんなことなら山崎から丹波方面に前進しておけばよかった。
名神を名古屋に向かう頃には朝日を浴びた鈴鹿山脈がまぶしく光っていた。