旅の定義

Sep, 2009

ボクは旅が大好きです。スケッチブックやカメラを担いでもうずいぶんと旅をしてきました。ふとボクにとっての旅とは何かを考えたら,3人の先人の影響を強く受けていることに気づいたので記しておくことにします。

定義1/拓郎の旅

正確には岡本おさみの旅と言うべきかもしれませんが,ボクは岡本おさみさんのことをよく知りません。

搾ったばかりの夕日の赤が
水平線から洩れている
苫小牧発仙台行きフェリー…

…痺れましたね。道東にひとり旅して,居酒屋で賭博師の老人と知り合う。おそらくは老人のアパートに滞在して,賭博場で小金を勝ったり負けたり,夜は安酒場で過ごす。やがて日が尽き「振り出し」に戻る回路の船を,老賭博師が見送りに来てくれる。

津軽を旅しては,ただ呆然と青函トンネルの工事を眺め,泥運びのおばさんと親しく言葉を交わす。そして襟裳岬は人生の旅の温かな終着地だろうか。拓郎が峻烈な歌声で定義した旅に少年時代のボクは激しく憧れた。

それは日常から切り離された時空間に自ら志向してさまよい出ることで,戻る日常は元の立ち位置(振り出し)に他ならない。

旅とは心がさすらうことである。

ところで極端に船に弱いボクは未だに苫小牧発仙台行きのフェリーに乗ったことがない。たぶん一生無理だろう。その代わり旅の宿では当然,妻の髪にすすきをさしている。


定義2/芭蕉の旅

岩鼻やここにもひとり月の客(去来)

去来抄を意訳すれば,この句を芭蕉にほめられ,「月夜に散歩中,同じように月見を楽しんでいる人を見つけたときの句です。」と答えると,主客を入れ替えて自分が月見をしているところに,散歩する人が来たことにした方がよいとアドバイスされたそうだ。

詩情が事実に優先する,稀代の天才はそう考えていた。「おくのほそみち」はおそらく数倍する原稿から削り出すように推敲されたものだ。場面によってはそれこそ事実と主客が逆転しているのかも知れない。

だから芭蕉は東北に歌枕を訪ねる旅をして「おくのほそみち」を書いたのではない。「おくのほそみち」という叙景詩の中を旅したのである。

旅は詩である。


定義3/司馬遼太郎の旅

司馬遼太郎が著した「街道をゆく」は史跡を訪ねる旅の愛好家にとって比類なきバイブルである。が,再読,再々読するうち,彼が旅人としては平凡であることに気づく。旅の能力は極めて低い。ムリもないことだが「街道をゆく」は激務の合間に新聞社がセッティングしていた。ドライバー,通訳,案内人は行く先々に待っている。宿は一流ホテルで,夜は地元の名士が挨拶に来る(一部推測)。もはや同情を禁じ得ない状況だ。だから「街道」の旅はその桁外れの想像力を持った脳の中にすでにあったのだろう。現実世界で司馬さんがすべきことは,その脳を五感とともに「その場」に運ぶことだけだ。移動に旅情は必要ない。

彼は「その場」にこだわる。出土品の展示された博物館よりも発掘場を,碑や記念館より野原の古戦場を,建物の移築された公園より旧跡のあった街角を好んで訪ねる。ボクもその影響をもろに受けている。その場に立って歴史に思いを馳せると肌が粟立ってくる。古の空気の匂いまで感じられる。

旅は時を超える。

「街道をゆく」は一人旅ではない。スタッフの他に絵描きが同行している。須田剋太の遺作展を見たことがあるが感服した。まことにいい絵を描いた人だ。そして本文にも禅宗の僧侶然とした言動で登場し,絶妙なアクセントになっている。シリーズ後半の挿絵を担当した安野光雅さんはコミカルなキャラクターで須田画伯を超える活躍をしている。オホーツクの食堂で「てんどん!」と注文するシーンには笑い転げてしまった。

ボクも司馬さんに倣っている。紀行文の中で歴史的な記述から現実のシーン戻るときには,妻ドレミの様子を描写して時間のギャップを埋めることが多い。ドレミは安野さんをしのぐコミカルなキャラクターで味を出していると思うが,いかがでしょう。

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