Apr.2012

朝,まだ暗いうちにホテルを発ったのでパンプローナの街にはパンの焼けるいい匂いが漂っていました。


パンプローナはかつて栄えたナバラ王国の首都でした。

ナバラは英雄イニゴ=アリスタがフランク王国の圧制からバスクを解放して建国しました。しかしその後もフランスとスペイン,あるいはキリスト教とイスラム教という巨大な勢力の間で翻弄されました。その最期の王朝(フランス系)で,貴族の一人だったフアン=デ=ハッスーという学者が宰相に抜擢されて東の国境シャビエル城主となりました。


シャビエルはバスク語による地名で現代スペイン語ならハビエルです。ザビエルという読み方は日本だけで,英語表記サビャーの誤読だとも言われています。



聖フランシスコ=ザビエルはフアン=デ=ハッスーの三男としてシャビエル(ハビエル)城に生まれました。やがてカスティリア軍の侵攻によって,1512年にパンプローナは陥落,1515年にはナバラ王国は併合されて滅亡します。ザビエルの父も兄も一連の戦いの中で亡くなりました。フランス系王朝とスペインの戦争でありながら,実際に殺しあったのはバスク人同士でした。


激動の中,ザビエルは母親や姉のおかげで希望通りパリの神学校に留学することができました。やがて神学校の仲間たちと,パリ,モンマルトルの聖堂でイエズス会を興し,布教のために自ら東方を目指したのです。

そしてついには日本にキリスト教を伝え,その帰国の途で病のために生涯を終えました。西洋文化との出会いが日本史上最大の転換期だとするならば,それを最初に伝えたのは,学者を父に持つこのバスクの貴人だったのです。


ナバラ王国にはナビもグーグルマップもまだ知らない新しい高速道路が急ピッチで建設されています。近い将来,ここの風景も様変わりすることでしょう。


ドレミナビに従って小さな村を抜け,峠道に入って間もなく, 芽吹き始めた樹間に堅牢な城の姿が見えてきました。




聖フランシスコ=ザビエルの故郷ザビエル(ハビエル)城です。

まるでボクたちの到着を歓迎するかのように,朝からナバラ地方を覆っていた低い雲がすうっと消えて,まぶしいほどの朝日が差してきました。



この旅の目的地…。

学生時代,「街道をゆく」を読んで感激してから25年…


ここがボクのいちばん訪ねたかった外国です。

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