Aug.2015

11. ベートーベンハウス



コブレンツを過ぎると,ライン川流域の景色は開け,次第に平凡な現代の風景に戻った。

一路高速をボンに向かっている。


ボンはボクたちの世代には懐かしい西ドイツの首都だ。

どうしてボンだったのだろう。例えて言うなら,大戦終結時に連合国軍の上陸を許し,ロシア軍の入った箱根から東が東日本国になってしまったとして…。将来,東西日本の統一を念頭に西日本国の首都を決める際,大阪でも名古屋でも福岡でもなく,松本あたりを首都に選んだようなものである。


国道が建物の下をくぐる。中心街が近い。

元首都の現在の様子を訪ねて来たわけではない。ボンは妻のようにクラシック音楽を愛する者には素通りできない町なのである。


ナビよりドレミより先にボクが「ベートーベン パーキング」の看板を見つけた。

そう,ボンはベートーベンの生誕地なのである。市内にある生家はベートーベンハウスとして一般公開されている。


ところが,ボクが見つけたベートーベンパークハウス駐車場はベートーベンハウスからはかなり離れていた。主にベートーベンパークやベートーベンホールを利用する人のための駐車場だった。入り口には個性的にカラーリングされたベートーベンの人形が立っていた。ややこしいこと甚だしい。


それもそのはず,辺りはベートーベンだらけだった。ベートーベンという名のついた公共駐車場だけで4か所もある。

EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM

 


こちらネーフェ先生の肖像。

ベートーベンのピアノと作曲の先生である



ベートーベンハウスに向かう途中,スーパーマーケットの裏に教会とマーケットの駐車場を兼ねた公共のパーキングがあった。

電撃が走った。既視感が閃き,脳の奥から記憶がぼろぼろとあふれ出した。

ここに車を停めたことがある…


30年前のことである。ボクは故大熊進子先生のドライバーとしてアムステルダムからミュンヘンに向かって車を走らせていた。ベルギーの高速を南下しているとき,先生が急に「ボンに行ってベートーベンの生家を訪ねたいわ。」と,言い出した。

彼女は,特別講義に出向いた大学で,偶然その講義を受講していたボクを見い出して,とても気に入り,まるで一番弟子のようにかわいがってくれた。ボクは音楽とは縁のない理系の学生だったが,なんとか彼女の役に立とうとするうち,いつの間にかほとんどの事務や通信の仕事を任されるようになっていた。そして,ヨーロッパ各地での仕事を一気にこなすその旅にも秘書兼ドライバーとしてボクを連れてきてくれたのだった。だから,ボクは運転や事務仕事はもちろん,こんなプライベートな用でも,打てば響くように彼女の期待に応えたいと思っていた。

ナビもガイドブックも地図すらまともにないのに,20代だったボクは,予定外だったボンに正確にアプローチし,今日よりずっと目的地に近いパーキングを見つけて駐車したことになる。

なかなかやるじゃん。当時の小僧のボク…。

この場所に立つまで,この町に寄ったことを全く忘れていた。出発前,ドレミが「もしボンの近くを通ったら,ベートーベンハウスに行きたい。」と言ったときも,自分がボンに寄ったことは思い出さなかった。ボクは音楽家ではないからそんなに印象に残らなかったのだろうか。そう言えば,当時の先生は,今のドレミと同じくらいの年だったはずだ。


町の中心街に入ると,記憶はますます鮮明に蘇ってきた。店は変わっても,町並みや道筋は変わらない。妻がはしゃいで先を急いでは,分かれ道になると振り返ってどちらに行けばいいか仕草で聞く。その様子も30年前の記憶の中で,同じ路地にいる進子先生と重なる。

ボクとドレミが偶然出会ったのは先生の教室でのことである。


記憶通り,商店街の中に唐突に…というロケーションと佇まいでベートーベンハウスはあった。


当然であるが,ロッカーやグッズ売り場が新しくなった他は何もかも同じだった。館内が撮影禁止で,鞄にはいらない大きさのカメラ類には,大きな袋が貸与されるシステムまで一緒だった。

ベートーベンの直筆の楽譜やメモならともかく,若い頃に使った机だとか同世代の楽器だとかほとんどボクにはガラクタとしか思えない展示物まで,妻はひとつひとつ熱心に見て回る。ボクは備品なのか展示物なのかはっきりしないソファーや椅子を見つけては,腰をいたわりながら待つ。

EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM

展示物のキャプションはドイツ語だけである。有料で英語の音声ガイドはあるが,さすがに観光客向けのガイドはドレミには不足だろう。妻が頼りにしているのは,受付でもらった日本語のリーフレットに書かれた展示品名と番号である。

そのリーフレットにある配置図を部屋に合わせて回していると,突然,係の老婆が血相を変えて何事か叫びながら駆け寄った。辺りの雰囲気が凍りついた。ドレミもびっくりして立ち尽くすと,今度は一転平謝りに謝り始めた。妻はさらに困って,今度は必死に言い訳して許しを乞う女性をあわてて労わった。離れたところから見ていたボクには何が起こったのかよく分かった。

係の女性にはリーフレットを回す仕草がスマホをかざして撮影しているように見えたのだ。

原因は明らかである。確かめたわけではないが,たぶんその日本語リーフレットは30年前と変わらぬものを印刷し続けている。一方,展示位置や展示品の番号は少しずつ変わって来ている。もはやこのリーフレットは一生懸命部屋に合わせてみても使えない代物である。お土産コーナーには日本語があふれているのに,リーフレットは改訂されない。日本人に対する軽い侮蔑が感じられたが,ボクは不満を口にも態度にも出さなかった。なぜなら,ようやく事情を理解した妻が老婆の背中をさするようにして慰め,何事もなかったかのように,また楽しそうに鑑賞を続けていたからである。彼女は日本人だがドイツ人に負けないくらい本当にベートーベンの音楽が好きなのである。

EOS 5D MarkⅡ+ EF50mm f/1.2L USM

腰の限界が来たボクは建物を出て,中庭のベンチで妻がすっかり満足するまでずっと待っていた。

EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM

ベートーベンハウスを出ると,例によって空は明るいが時間はもう夕方である。宿を探さなければならない。

EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM

実は城を出る頃から考えていた。ローレライの岩に世界遺産の古城見学,そしてベートーベンハウス…いささか今日一日はボクの旅らしくない一日である。ここはひとつ宿で個性を出したい。

モーテル探し


どうだい,昨日は二つ星ホテルでゼイタクしたことだし,今日は節約しようか。安いモーテルを探して,スーパーのデリとビールでのんびりと部屋飲みなんてどう?

「そうしよう,そうしよう。」

ドレミは節約という言葉が好きだ。異論はない。


それにボクらはモーテル探しの名人である。モーテルと言っても日本のように恋人たちのためのおしゃれな施設のことではなく,言葉そのまま,車で旅をする人たちのための宿である。いいモーテルが集まりやすい場所も,部屋のチェック方法もよく知っている。

ボンからケルンまでのインターを一つ一つ流出しては,高速と垂直方向に数キロを往復して,ホットなロケーションを探してゆく。


ところが少々様子が違う。辺りはどっぷり世界に名だたるルール工業地帯の真っ只中である。


インターの周りは入り口から建物が見えないほど巨大な敷地の工場に囲まれ,少し離れて大住宅地がある構図が続く。

ドレミはルール工業地帯の威容に興奮し,盛んに写真を撮りながらはしゃいでいるが,ボクはそろそろ,これはいけないと考え始めていた。

とうとう,ケルンに入る直前のインターまで来てしまった。時間は6時近い。住宅街の外れにさびれた繁華街があって,労働者向けらしいみすぼらしい外観のビジネスホテルが2軒。イメージとはほど遠いが,ドレミをフロントに走らせた。

「朝食なしで110ユーロ(約15,400円)だって…。」

足元を見られている。あるいはお得意様相手のビジネスユースで,夕方に飛び込みの客が迷惑なのかもしれない。ここで言い値で泊まっては「旅名人シュウとドレミ」の名がすたる。

「どうする…?」

飛び込みはあきらめて予約サイトで探す。それも,ケルンで探せば下手をすると110ユーロより高いかもしれない。オランダに向かう方面ならどこでもいい。小さな町の名を片っ端から検索する。

スマホもポータブルWi-Fiも電池が乏しくなってきた。こんなこともあろうかと,日本からシガーライターの12Vから100V2口を取る変圧器を持って来ている。両方を変圧器と直結して,Wi-Fiの感度が少しでもいい場所に車を移動した。便利なことにボクたちが登録している予約サイトでは「今からでも今夜の予約できる宿」というカテゴリーがある。

「あった!ノイスっていう町に安いホテル。わー!朝食付き♪」

この状況にあっても妻に動じている様子はない。カード番号を入力するキャンセル不可の予約をしてから車を出した。


ノイスってどこだ?

「今,ナビにホテルの住所を入れてるから待って。」

今度はシガーライターソケットをナビにつなぎ戻している。

スーパーマーケット・クライシス


小1時間ほどで到着した。古いレンガ造りの堂々たるホテルだったが,泊り客は他に一人しかいないようだ。すでに7時を過ぎていて,田舎町は静まりかえっている。

フロントで近くのスーパーを聞いて来い。

「それが…」


フロントには誰もいない。小さなホールの端に太っちょが座っている。それも只者の太っちょではない。140kgくらいの脂肪の塊である。椅子に座っているだけでハアハアと肩で息をしている。その彼が英語を流暢に話す。空港を除けば,今回,出会ったドイツ人の中では,レンタカーのお姉さん,ホテルイビスのフロント係に次いで堂々第三位の英語力である。そしてびっくりするほど人がいい。

「ホテルのオーナーは今夜ここにいないんだけど,ボクは彼女の友だちで,頼まれてあなたたちを待っていたんだよ。」

そう言いながら,確かに部屋と玄関の鍵をボクたちに渡した。

「車で10分くらいのところにスーパーがあるけど,7時半で閉まってしまう。中心街まで行けば9時までやってるとこがあるけど…」

…道が混乱していて,とても初めての人が車で近づくのはムリだと,No oneを主語にして言う。

あははは。心配しないで。ボクは大丈夫。スーパーの場所を教えてくれないか。

愛すべき百貫デブはふーんと気合を入れて立ち上がり,喘ぎながら10歩ほど歩いて,入口にある市街地図の前に立った。

「スーパーはここ,でも,この辺りの道はほとんど一方通行で,しかもごちゃごちゃに交わっている。やはり,行くのはムリだよ。」

ボクは地図をざっと頭に入れて太っちょに握手を促した。

ありがとう。行ってくるよ。

彼はなおも心配そうに駐車場に急ぐボクたちを玄関で見送っている。

車に戻ったボクたちは,ナビにスーパーを検索させた。「南に1.8km」これが近くのスーパーだな。そして「北北東に4km」が中心街の方だ。一応,南に行ってみたが,もう入口の灯りが落とされ,閉店の準備が始まっていた。それから中心街に向かった。

太っちょの言ったことは本当だった。ノイス中心街の道はほとんど垂直には交わらず,一方通行と通行止めだらけだった。まるで螺旋を描くように,ぐるぐる回りしてスーパーに到達したが,駐車できる場所を探すうちにスーパーも現在地も見失った。

ほんの200メートルの場所から戻るのに10分くらいかかった。駐車可能の場所が見当たらない。再びスーパーが見えなくなった。もはや一刻の猶予もない。ドレミにスーパーに行く道順を説明して走らせた。繁華街のシャッターは閉まり,帰路を急ぐ酔客がバス停に向かって歩いていく。

20分が過ぎた。そろそろスーパーの閉店時刻である。車のそばのキヨスクもシャッターを下ろしている。まさか迷うことはないと思うが,もし道がわからなくなったとしても,車で探しに行ったらそれこそ決定的にはぐれてしまう。もしものとき,ホテルの名前は憶えているだろうか。

25分。目印に車を置いて迎えに出てみよう。駐車違反に問われても致し方ない。ハザードを切り,車を降りて施錠しようとしたとき,角を大きな紙袋を抱えた妻が曲がってきた。

「何にもないのよ。閉店ぎりぎりまで探したんだけど,パンとハムだけ。それにグリーンサラダと,ほら,これはレバーペースト。いつかドイツのレバーペーストはおいしいって言ってたでしょ。これだけでい…」

ボクは妻を抱きしめた。異国の街角で妻と抱き合うことはなかなかない経験だろう。事情が飲み込めないドレミも紙袋のパンが潰れないかと心配しながらとりあえずされるがままに抱かれていた。

ホテルに戻ると,ホールはもう真っ暗だった。太っちょは心配に胸を痛めながらホテルを後にしたことだろう。


薄暗い部屋の机で,スマホやカメラの充電をする配線にかこまれながら,ボクたちはぬるいビールの栓を開けて乾杯した。

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