Aug.2015
30.冒険の終わり
最終日の夜が明けた。
あまりにも色々なことに出会いすぎて,旅の初めが遠い昔に思えてくる。
宿の朝食を予約せずに街に出た。
これを食べるためである。
ドイツのケーキ
専門店でコーヒーを買って…
ベンチで食べる。
はふー。
ドイツのケーキは総じてとにかくデカいのだが,あっさりさっぱりしていて,ボクでもぱくぱく食べられる。
…が,ディープでオシャレで濃厚なフランス風ケーキを好むドレミには物足りないようだ。
駐車場から車を回してきて荷物を積む。さすがに腰が悲鳴を上げ始めている。。
高速に乗ると,事故でもあったらしく逆向きが渋滞していた。当たり前だがオランダやベルギーに比べるとドイツ車の割合が多い。
東京都心や北京でもドイツ車が多い。未だドイツ車はステータスと見られているので仕方ない。
しかし当然ながらドイツに来れば,道路工事のショベルカーも干し草を積んだ農家のトラックもメルセデスである。海外に高級車しか輸出しないのは,「高い」からという理由で買ってくれるオイシイ客の心をくすぐるためである。けだし商売上手と言える。
せっかくのアウトバーンなので久しぶりにオーバー180kmの世界に行ってみようと思った。見通しのよい緩やかな下り坂。ここなら1.4Lのオペルでも行けるだろう。ダブルアクセルして3速に落とし,アクセルペダルを床まで踏み込んだ。レフリミットいっぱいで4速。さらに5速。5速ではレッドまで回らない。スピードメーターは185kmを差したがナビの速度表示は178kmだった。この辺がこの車の限界のようだ。
アクセルを全閉し,エンジンブレーキで120kmまで落としてキープする。暫く走ると,ナビの到着予定時刻がどんどん遅くなっていることに気付いた。目的地のレンタカーは出発と同じあの営業所である。できれば午前の営業時間中にたどり着きたい。日本ならナビの高速道路速度設定はたいてい80km/hなので,100kmで走れば,ちょうど1時間に一度くらいの休憩時間を稼いでいける。どうやらアウトバーン仕様のナビの設定は120kmを超えているのだろうか。巡航速度を140kmまで上げると予定時刻が動かなくなった。そういうことらしい。
ニーダラッドの町に戻って給油した。
10日も相棒だったオペルとの別れが近い。一緒にはしけに乗ったり,ローレライの峠でアウディとバトルしたり,ヌーディストビーチで駐車場を探したり,でこぼこ石畳のブリュッセルの裏道で迷ったり…。
愉しかったよ,お前のことは忘れない。
ドレミを駅に送ってからレンタカー屋に行くことにした。原則,海外で分かれて行動するのは危険なのだが,苦肉の策である。手強いレンタカー屋でどれくらい時間がかかるかわからないし,駅ではまたぞろ切符の購入に手間取るといけない。レンタカーから引いてくるには帰りの荷物は重い。ここは二手に分かれるのが得策だろう。
ところがドレミの切符買いは,駅の券売機が最新式になっていたのであっさり終わったらしい。
通過する電車の車掌さんと遊ぶ余裕ぶりである。
ゲルマン魂のレンタカー屋に戻った。洗車まではできなかったが,内部を雑巾がけして室内のゴミはすべてまとめた。
営業所に行くと悪い予感が的中した。鍵がかかっていてノックしても応答がない。まだ,昼休みには30分ほどもあるはずだ。今度こそ正義は我にありとは言うものの,キーをつけたまま車を置いていくわけにもいくまい。
途方に暮れていると,いきなりドアが開いて,あの女子大生バイトが眠そうな目をこすりながら現れた。ぼさぼさになった金髪をかき上げながら「ありがとう。キーをちょうだい。」と言うので,差し出された手のひらにオペルのキーを載せた。すると「ありがとうございましたー」と,引っ込もうとするではないか。
いや,ちょっと待て待て。傷や走行距離のチェックとか…あと,これ,ゴミなんだけどどこに捨てたらいいかね。
「あ,オッケー。ありがとう。」
…おら,知らね。あとできっと所長に叱られるぞ。
叱られたかどうか定かではない。だが,帰国した頃,電子メールで確認書と清算書が送られてきたから,手続きに不備はなかったようだ。
ドレミとホームでランデヴーし,ちょうど来た列車に乗った。自分たちで地図を見たり,運転したりしなくても目的地に運んで行ってくれる。電車はありがたいものだ。
ニーダラッドは空港とフランクフルトの間にある駅なので,本来フランクフルト中央駅に戻る必要はない。
目的はこれである。例の絶品へリング。どうしてももう一度味わいたかった。スタンドなので,ピールはまた別の店まで買いに走らねばならない。
ドレミが一人で駆けずり回っているが,ボクは荷物の側を離れられない。ひっきりなしに怪しい人間が寄って来るからだ。
殊更に強面を作り,カラテかジュードーの達人を装う。
「Gehen Sie weg(あっち行け)!」
時には声を荒らげなければならない。ビールを飲むときも,足を片足ずつトランクに乗せ,空いた手でレンズの入ったリュックを抑えている。偶然,ボクの横に写りこんだブロンドの女性も詐欺師の手先である。「子どもが病気なので小銭を恵んでほしい。」と言ってきた。意味が分からないふりをして追っ払ったが,隣の店の女性客からはまんまと紙幣をせしめていた。目で追っていると,胴元らしき男のところへ行って,次のターゲットを指示されていた。
着いたときと同じホームの電車に乗り込む。空港はニーダラッドのいくつか先の駅になる。
その空港に着いてもどこに行ったらいいか分からない。インフォメーションの場所も分からない。英語の分かりそうな人に片っ端から話しかけて徐々にアプローチしてゆくしかない。
どうやらこうやら荷物のチェックインも無事に済んだ。
検査場に入るまでにはまだ時間があるが,腰が痛くてもう歩けないのでスタバの椅子を確保した。
2015年の夏,メルケル首相の経済政策は大方成功していて,ドイツはEUの中でもリーダーとして揺るぎない地位にあった。ナチス時代の責任を潔く認めて謝罪し補償も約束した。シリアの空爆には慎重な立場でロシアをけん制し,戦争による難民はほぼ無制限に受け入れた。フクシマの事故を受けては,即時原発の全面廃止を決めた。ユーロ高は143円まで進んでいた。
(こののち,秋になると,あまりの難民の数の多さにEUの足並みは乱れた。ブリュッセルの郊外から国境を超えたテロリストがパリで死者130名,負傷者300名という未曽有の無差別テロ事件を引き起こした。2016年に入ってはイギリスがEUを離脱するなど経済にも陰りが出て,国内から起こった難民受け入れ拒否の世論も抑えられなくなってきた。メルケル首相の政治生命も危ういかもしれない。)
もしかしたらこの夏,ドイツ,オランダ,ベルギーは繁栄の頂点にあったのかもしれない。ボクたちは富と幸福を謳歌するフランドルの旅人だった。
さて,ご覧の通り,せっかく確保したスタバの向かいの席は空っぽである。ボクがカフェラテを飲みながら,フランドルの旅を総括している頃,我が相棒の旅はまだ終わっていない。残ったユーロを握りしめ,きっちりチョコレートを買うことに余念がないのだ。
搭乗口に移動してまで,チョコレートさまの詰め直し指令がでた。より大事なチョコを風通しのよいカメラバッグに移すことに決めたらしい。Lレンズの隙間にチョコレートが詰められていく。
「飛行機までのことなんだから,背負うときは少し背中から離してね。」
「はいはい(;^_^A」
定刻通り。
眼下にパッチワークの丘が広がった。金色に光っているのは収穫を終えたあの小麦畑かもしれない。
小さな小さな出会いと足跡を残して,ボクたちの冒険は終わった。
完
エピローグ
無事羽田に着いて,炉ランクを受け取り,保安区域を出てや否やドレミは保冷剤を買いにドラッグストアに走った。言うまでもないがチョコレートさまのためである。