天草の少女

Apr, 2017

本渡のループ橋を渡り,天草下島の北側をくるりと回って西岸に出た。天草灘は明るい春の色に光っていた。苓北町に来たのは5度目だろうか。何度来ても美しい。数年前はタローをマリーナに留守番させて「いるかウォッチング」の船に乗った。今日は町の温泉を目指した。


ボクらの旅では温泉と言っても,ゆっくり湯に浸かるためではなく,ざくざくと髪と身体を洗うのが主目的である。

「じゃあ,40分後ね。」

ロビーで時間を約束し,男湯と女湯に分かれる。


時間通りに湯から上がると,戻ってきたコインロッカー用の100円玉を二つ合わせてコーヒー牛乳を1本買った。

「あのね,脱衣所でね…」

ふだんは24時間一緒なので,たとえ40分でも別れて過ごした時間は話のタネになる。

脱衣所で…

「髪の毛長ーい」

と言われたので振り向くと,声の主は幼稚園くらいの少女だったそうだ。笑いかけると笑い返す,おばあちゃんといっしょにお風呂に来たようだった。ドレミに異郷の都会の雰囲気を感じて話しかけたくなったのかもしれない。目は好奇心でキラキラと輝いている。

裸になったところで,また女の子がきて,

「はい」

って,髪の毛のゴムを落としたのを拾ってくれたのよ。手に持ってたんだけど,落としたのに気付かなかったみたい。

「ありがとう」

それには答えず,はにかみながらおばあちゃんに

「落ちたときに小さな音がしたの」

って話していたので,

「私は聞こえなかったわ。耳がいいのね。」

と言って,おばあちゃんにも会釈して一緒に浴室へ行ったんだけど…。

風呂からあがって着替えてるとき三たび少女が近づいてきて驚いた声で言ったそうだ。

「どーして同じ服を着るの?」

自分の着かけている洗い立てのパジャマを見せる。彼女の常識ではお風呂から出たら新しい服を着るものなのだ。彼女だけではない。一般常識である。少女の言う通り,下着だけを替えて入浴前の服を着るドレミがおかしい。

「えーっと,まだこれから行かなきゃいけないところがあるのよ。」
「どこ?」
「船に乗るのよ,遠いとこ。」
「私は佐賀まで行ったことある。」
「佐賀県?遠いわねぇ!」
「おばあちゃんの家があるの。さっき一緒だったのと別のおばあちゃん。」

…「ね,かわいいでしょ。ホントに答えに困っちゃった。」

コーヒー牛乳の瓶を受け取りながらドレミが笑った。


ボクは今,鬼池港で島原に渡るフェリーを待つ間,この話を忘れてしまわないようにメモしている。ドレミが口真似した少女の言葉のニュアンスも正確に記しておきたかった。今どきはこうして小さな子でも完璧な標準語を話す。おばあちゃんとは方言で話すわけだから,すでにバイリンガルである。


お風呂から上がり,急ぎ鬼池まで戻ったので,予定していた便のひとつ前の出港にも余裕で間に合う時間に着いた。

最終便に乗りたいのですが…

係員は珍しいものをみるような目でボクを見たがその理由には興味がないらしい。黙って脇で待つように誘導してくれた。

ボクはメモしながら,実際に会ってはいない天草の少女の理知的でキラキラ光る目を想った。臆せずにドレミに話しかけた好奇心を思った。いつかきっと彼女は熊大か,もしかしたら大阪や東京の大学を志望するだろう。そして世界を目指すかもしれない。


かの悲劇の戦いのときには,彼女のような子どもまで村中,国中の民がこの同じ早崎瀬戸を渡って原城に立てこもった。桁外れの幕府軍による包囲とそれに恩を売って独占貿易の権利を得ようとしたオランダ海軍の容赦ない艦砲射撃に敗れ,非戦闘員まで3万人が皆殺しにされた。幼い少女たちもロザリオを胸に抱いたまま斬り殺され,崩された城や石垣とともに埋められた。

お風呂で出会った現代の天草の少女は平和な時代を生きなければならない。それは平和と幸福を貪ってきたボクらの世代の義務だ。

定刻通りボクたちを載せた18時30分発口之津行の最終フェリーが汽笛を鳴らして鬼池を出港した。春分から約半月,この日の日没時刻は18時37分だった。

少女はドレミの説明に納得していたが,実は入浴後に船に乗ることは,同じ服を着る理由にはなっていない。ドレミだってお風呂から上がったら,ジャージにトレーナーで寛ぎたいところだろう。それでも長いスカートでフェミニンに装うのはおよそこうして渡船の夕日の中に立ち,ボクの写真に納まるために他ならない。

春らしく穏やかそうに見えるが,この日,早崎瀬戸の風は強く,撮影直前まで冬用のダウンを着て震えていた。船は大きく揺れ,そのためにドレミのシルエットを定期的に空まで高く持ち上げ,絶好のシャッターチャンスを演出してくれた。

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