12/上総広常

September, 2022

「鎌倉殿の13人」はR15指定すべきだった。反頼朝派集会への潜入を義時に依頼されるという史実にないストーリーを付加したことで,少なくともこのドラマでは上総広常にただ一点の非もなくなった。その彼が主人公たちにだまし討ちに殺されるシーンは衝撃的すぎて大人でも未だ胸に鈍痛が残る。まして純真な子どもの心にはトラウマにならないだろうか。子どもに見せない配慮が必要だった。

わけても佐藤浩市さんの演技力が,広常をとても魅力的な武将にしていたこともまた悲劇を際立出せた。これ「復習シリーズ」として秋の上総にゆかりの地を訪ねる所以たるべし。


白子川の支流内谷川の土手道を真っ直ぐに南下する。なんと気持ちのよいサイクリングコースなのだろう。 東にも西にもほぼ直線の県道やバイパスが並行している。グーグルマップはそれらを選ばず明らかに快適さでこの道を選んで案内している。


真っ青な秋空の下,ボクらは上総の原風景のような美しい田園の里を行く。人が来るとは予想だにしていなかったのだろう,前方で水辺の鷺や苅田のバッタが慌てて飛び立つ。逃げ遅れた大きなバッタが顔に飛んできて後方でドレミの悲鳴があがる。


長閑である。 



信州からはひと月も遅れているだろうか,蕎麦畑の花が満開になっている。



茂原からほぼ直角に海沿いに進路を変える外房線が近づいてきた。一宮は近い。

調子に乗り過ぎたボクは足にきはじめている。



JRと一緒に国道128号線も東進してくる。その国道に出て一宮川の橋を渡る。



目的地の玉前神社は旧市街の中心に鎮座していた。



駐輪する場所を探す間にも駅から駐車場から次々と参拝客が訪れる。大河効果であろう。それも大半が若いカップルである。イマドキは男が彼女を連れて来るとは限らない。レキジョに彼氏が付き合っている可能性も十分にある。



いずれ佐藤「広常」に魅せられてはるばる来訪されたかと思えば親近感も湧いてくる。



上総広常,本名平広常。若くして房総平氏惣領家頭首となり,源義朝の下で保元の乱を戦った。

平治の乱では後に13人衆に列せられる三浦義澄,足立遠元らとともに源義朝の長男つまり頼朝の兄義平に従って上京した。



少数精鋭での遠征となった義平軍は義平十七騎と呼ばれ,清盛の長男平重盛500騎と待賢門で相対し,実に三度の嫡男対決を制する活躍を見せたが,六波羅で清盛の軍に圧倒されて潰走した。


三浦、足立ともども死線を斬り破って在所まで帰りついたところはさすが関東武者である。広常はそのまま平家に従属して上総を治めた。頼朝の蜂起に呼応したのは彼にとって京へのリターンマッチである。平家との対決を厭い、関東での独立を企てたという彼の謀反の罪状はどう考えても不自然だと言える。

上総国一宮・玉前神社


元暦2(1185)年12月,広常は謀反の罪で誅殺された。その僅か1ヵ月後に,広常が捧げていた願文が玉前神社から発見されたと言う。 



原本は失われたが碑文にその内容が残っている。3年以内に田20町の寄進,社殿の造営,流鏑馬の挙行など三箇条を約し,以下の願をかけた。

前兵衞佐殿下心中祈願成就東國泰平



頼朝公の祈願が成就し東国が泰平になりますように…。



これが事実ならば日本史上最悪の冤罪事件の一つと言えよう。頼朝,義時の罪は重い。



国道に面した菓子舗。

ドレミは神社に向かうときすでにみかん大福に目をつけていたらしい。


さて昼である。ここで老舗の食堂にでも入って九十九里の刺身定食など食すのは素人である。ボクのように史跡探訪のベテランになると,ランチにそういうところは選ばない。

オシャレなカフェである(笑)

ほとんど興味もないのに付き合って史跡巡りする妻にゴマゴマスリスリ。これぞ楽しく歴旅するための極意である。


幸い,一宮はサーフィンのメッカとして知られ,海沿いには若いサーファーをターゲットにしたオシャレな店が多い。



検索で精査する際に要した時間は白子神社や玉前神社の比ではない。



地物野菜のバーニャカウダ,生ハムとカボチャのパスタ,大原漁港で揚がったタコのパスタ!自信たっぷり,吾ながら会心のチョイスである。


店を出てしばらく走ったところでドレミに聞いてみた。

「今日のイタリアンランチのオシャレ度は10点中何点?」

「うーん…5点かな。」

えー!?お店の人の対応も気持ちよかったのに予想外の低評価。オシャレの道は遠く険しい。

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