05/願成就院

Oct, 2021

眞珠院に車を置かせてもらったまま,自転車で細い路地を北に向かう。初代執権北条時政ゆかりの願成就院が近い。いったん下田街道(136号)まで出た方が間違いなさそうだが,Cさんにちびっ子龍唯和尚がコバンザメのように貼り付いて離れない。仕方なくCさんは小さな折り畳み自転車にコバンザメを抱えたまま乗っている。一方Miちゃんは留守番の予定だったが,行動をともにしていた眞珠院三女の娘がいっしょに行こうとこちらもつないだ手を離さない。

「近くだから歩いてついて行きまーす。」

とMiちゃんが言う。


そんなわけでボクだけ先行してできるだけショートカットの道を探らなければならない。サイクリングにはぜんぜんならない。途中で鉢花に水やりしている人がいたので道を尋ねた。振り返るとハッとするほどの美人だった。絶世の美女真珠夫人と会ったばかりでなければしばらく路傍で話したいほどだった。


「この道でいいですよ。二つ目の路地を左に入れば門が見えます。国宝が5つもあるって自慢してらっしゃいますよ。」

礼を言って自転車を走らせると二つ目の路地はひと漕ぎの距離だった。


自転車を停める間にニケツ折り畳み自転車,徒歩組も次々と到着した。



山門の奥が何やら騒々しい。



秋田犬のロッキーくん,1才7ヶ月がドレミの頬に鼻を寄せる。子どもたちも大喜びだが,その後ろになぜか作務衣の欧米人…ん?


なんとフロムロンドンのお坊さん!イギリス留学中だった願成就院の娘さんのあまりの美しさに惹かれて恋に落ち,とうとう出家して伊豆に入り婿してしまったとのこと。はてはて韮山はどれだけ美人の産地なのだろうか。


ロッキーとじゃれる真珠院の子どもたちを見ていてボクはいい案を思いついた。国宝の仏像はこの年頃で鑑賞すべきだ。運慶の造形美はきっと心の糧となろう。拝観料は安くないが,ボクたちが負担すればポン菓子とおにぎりの借りを一気に返すチャンスである。


だが,ふと脇に建っていた茅葺屋根の建物に興味を持ったのが敗因だった。1789(寛政元)年建立の旧本堂である。写真に収めて,急ぎ現本堂に向かったが時すでに遅し,6人分のチケットを持ったMiちゃんと案内役のイングリッシュ僧侶が石段の上で待っていた。借りが膨らんだ。


「ミナモトノヨリトモコウ ガ オーシューフージワラシ ノ セイバツ ニ ムカワーレタトキ…」 英国人に語ってもらう鎌倉史はまた新鮮である。願成就院は1189(文治五)年に頼朝の奥州征伐戦勝を祈願し北条時政によって創建された。鎌倉幕府成立後は北条氏の氏寺として保護・信仰された。運慶作の国宝がひしめく堂内は撮影禁止なので願成就院のHPから写真だけ拝借した。

願成就院公式HP

「ナニカ ゴシツモン ハ アリマスカ?」
「はい,こちらは隣接する眞珠院の龍唯和尚です。失礼ですが…」
「ア コレハ シツレイ イタシマシタ。ワターシ ノ ホウミョー ハ ユーシン ト イイマス。brave ノ ユウデス。」

さすがに brave の発音がやたらいい。 本堂の裏手にある宝物館に,鎌倉時代の木簡や後北条時代の朱印状などの収蔵品に混じって北条時政の座像もあった。



←願成就院HPより

境内に時政の墓がある。



北条時政。

頼朝の挙兵を主導した鎌倉時代の実質的創始者と言えよう。後に関東で絶大な尊崇を集める北条氏の初代執権である。にもかかわらず,日本史好きな人を除けばその名を記憶している人は僅かだろう。晩年,実朝暗殺未遂の罪で実子である政子・義時姉弟によって鎌倉を追放され,この地で生涯を閉じた。今は訪れる人も疎らな寺の片隅で眠っている。



願成就院を辞してさらに300M足らずを北に行くと「北条の里散歩路」が整備されている。もう子どもたちは体力余って自転車の前に後ろに走っている。



案内板に導かれて政子が産湯の井戸にたどり着く。真偽はともかく,現在残っている井戸自体は正四角柱の石を正円にくり抜いて作られていた。機械による加工技術と思われる。



北条の里散歩路を狩野川まで出た。富士山に夕映えが始まって美しい。



狩野川に面した小さな扇状地に北条氏の邸跡がある。鎌倉に居を移すまで,北条の本拠地だった。八重姫が訪ねようとしたのも頼朝が挙兵したのもこの地である。発掘調査は実に1992年…それまで放置されていたことになる。 



鎌倉幕府滅亡時に落ち延びた北条の女たちがここに円成寺という尼寺を建てて一族を追悼した。寺がいつ廃されたのかも定かではない。 ほぼ毎日のように遊んでいる公園の由緒を真珠院の子たちも知らない。

ボクは河原から二人を呼んで北条邸の歴史をざっと説明した。



神妙に聞いていた子どもたちが理解したかどうかはビミョウであるが,

「入り口まで駆けっこしようか。」

とのドレミの提案には即座に反応した。

「それ!!」



狩野川べりを真珠院への帰り道は桜並木に整備されていたが今は紅葉もすっかり葉を落としている。花の頃はいかばかりだろう。


子どもたちともCさん夫妻とも眞珠院の門前で別れた。

さんざん世話になった上に,ボクたちの車には保冷剤を入れたクーラーボックスに前夜のイカが積まれた。もはや借りを返すべくもない。

再び狩野川を渡って長岡温泉に戻った。長岡に泊まるのは5度目だろうか。


そのうち二度はアメリカからの客を案内して来たので長岡地区の豪華ホテルに泊まった。外国人にとって温泉ホテルはそれだけでテーマパークのように刺激的である。でも二人で泊まる時は古奈地区の古い宿に惹かれる。



古奈の開湯は奈良時代と言われている。小さな浴場には泊り客よりも銭湯代わりにやってくる近所の人の方が多い。 



「高齢者カップル限定!1,000円割引,品数減らして量より質プラン」と言うのをネットで予約してきた。他を見渡しても高齢者カップルしかいなかったのでどの辺が量より質なのかはわからないが,1年半ぶりにこんな晩餐を楽しんだ。



お銚子を5本も空けてもはや拓郎の旅の宿状態。



後日談だが,真珠院の子たちは毎日のように願成就院の秋田犬ロッキーに会いに行っているそうだ。ボクたちは期せずして隣接しながら交流のなかった両寺院の次期住職同士を仲介したことになる。


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