10/博多の夜

Aug, 2005

朝ごはんはゆうべドレミが買ってきたドーナツだった。狭いベッド脇でもぐもぐとその揚げた小麦粉を食べていたら,ふとアメリカでのドライブを思い出した。アメリカのモーテルでは,朝ドーナツとコーヒーをサービスするところが多い。

実はこの日,博多に住むweb友とオフ会を予定している。オフ会の相手,通称博多のお兄ちゃんとは昼前に太宰府で会うことになった。日田から太宰府まで高速だと鳥栖のジャンクション回りでV字に走らなければならない。時間もあることなので寄り道しながらローカルで峠を北に越えることにした。

秋月城

行き先の地図上に「秋月」という地名を見つけた。確か日本史や小説の舞台としても記憶にあったが何より美しい地名に惹かれた。

「寄り道先は決まったぞ。」

ドレミとしてはオフ会前なので城歩きは気がすすまない。朝,彼女なりに精一杯おしゃれしたのが台無しになるからだ。この時期,城歩きはほとんどスポーツである。

「大丈夫,大丈夫,涼しいうちに城趾をくるくるっと歩くだけだから」


…大丈夫ではなかった。散策は小さな山登りに近く,朝からたっぷり良い汗をかいた。

秋月城は鎌倉時代の名家秋月氏が築いている。1587年には秀吉の九州征伐によって秋月氏が滅び廃城となったが,1624年黒田長政の三男長興が江戸幕府から5万石を与えられて秋月に分封され城を再建したとある。秋月黒田家も宮崎に流された秋月家も維新まで続いている。

太宰府に向かう道は午前中から対向車線がえんえんと渋滞している。お盆休みの日曜日なので福岡から阿蘇や別府に向かう車が多いようだ。これではお兄ちゃんが迎えに出ようとすれば即渋滞に巻き込まれるだろう。ボクは得意のカンを頼りになるべく北に行くことにした。これまでもらったメールなどで天満宮との位置関係はだいたいイメージできている。

田んぼの向こうに古墳らしき築山が見えた。ファインダ越しに見るとまるで慶州にいるような錯覚に落ちた。まことに似た山河だ。そして古代の文化も宗教も似ている。韓国と日本の対立の歴史は政権同士の対立だ。

こうして山河に立てば民衆同士には対立の理由も必然もない。してみると果たして現代社会で封建社会の枠組みを踏襲した国家というものは本当に必要なのか甚だ疑問を抱かざるを得ない。国家というものの恩恵と害を天秤にかけると害の方が大きい気がしてくる。アナキズムとは案外山河に根付いて生まれたのかもしれない。

博多のお兄ちゃん

国道が広くなり太宰府の町が近づいた。大きなスーパーの駐車場に車を入れて少々の買い物をする。エアコンの効いたベンチで待つほどにお兄ちゃんから電話が入った。勘はぴたりと当たっていて,そのスーパーはお兄ちゃんがふだん買い物をする店だった。駐車場に以前メールで送ってもらった画像と同じワンボックスカーが入って来た。初対面のオフミはいつもドキドキする。お兄ちゃんはシャイで人のよさそうなイメージ通りの人だった。お兄ちゃんの目にボクたちはどう映っただろうか。

「お昼は何にしよう。ドレミちゃん,何か食べたいもののあっとね。」
「ラーメン!」

東京には筑紫ラーメンの大きな支店もあるが期待どおり地元の飾らない店に案内してくれた。煮玉子に白い豚骨スープ。朝からスポーツ?した体に濃い塩分が染み渡る。

「いやあ,お二人とこうして会ってるとは夢んごとたい。」
「お子さんたちは?」
「さっき女房と熊本の温泉ば行きよったです。」
「え?じゃあお兄ちゃんはボクたちのために?…す,すみません。」
「ははは,何でんなか。女房もシュウさんたちに会いたかって言うとったばってん,子らのおらんほうが,shuさんらも気楽だと思ったけん。」

せっかくのお盆休みにたいへんな迷惑をかけてしまった。

お兄ちゃんの家にプレリュードを置いてノアに同乗させてもらった。博多に行く前に太宰府を案内してもらうことになっていたのだ。ノアは国道をちょっと走って切通の手前で脇に寄って止まった。

「こんなところに人を案内してきたのは初めてばってん,shuさんらこういうのを喜ぶかと思って…」

なんの変哲もない場所でボクらは車を降ろされお兄ちゃんは駐車場を探しに行った。切通かと思ったがよく見ると前後がまっ平らの平地なのは不自然だ。細長くカマボコ状の丘がどこまでも続いている。国道を渡ってみると小さな駐車スペースと緑地が整備されていた。地元のお兄ちゃんでさえ駐車場のことを知らないとはなるほどマイナーな場所らしい。

ドレミが熟読している看板を横から覗いて思わずのけぞった。

なんとこのカマボコは663(天智2)年に白村江で敗れた天智天皇が翌年新羅・唐軍の追撃に備えて築いた土塁のあとだったのだ。「全長1.2km,高さ10mの大堤「水城(みずき)跡」…興味のあるどころではない。これを見るためだけに関門海峡を渡ってきてもおかしくないくらいだ。ボクはドレミを置いて夢中で夏草の生い茂る水城の土手を駆け上がった。堤の上はところどころ墓地や畑になっていたが平均すると幅10mくらいで見渡す限り続いている。

白村江の頃,大和政権は蝦夷征伐で東北地方にも軍を派遣していた。同時に朝鮮半島に軍を送り敗れた百済からの難民を受け入れている。さらにこのように大規模な防衛線を構築して大陸からの追撃に備えたことは,百済と友好関係にあったことや朝鮮半島における利害関係だけでは確かに説明がつかない。大和朝廷と百済の王朝が姻戚,あるいはそれ以上の関係にあったと推理する研究者もいるくらいだ。日本史上最大と言われる謎がこの堤の上で実感される。

堤を下りるとお兄ちゃんが立っていた。結局,駐車場所が見つからなかったのか最初にボクたちを下ろしたあたりの休耕地に車を乗り入れていた。

「どげんね。興味のあっとですか。」

上気したボクの表情を見て自分の案内がツボを突いたことを確信したのかお兄ちゃんは自信たっぷりににこにこ笑った。

「あります。あります。ありまくりです。」
「よかった。じゃ政庁跡に行きますけん。」
「はい。」

お兄ちゃんの通った高校のそばらしい。歴史の町で青春時代を送った彼に少しの嫉妬を覚えながらボクはゆっくりと整備された政庁跡を歩いた。

どのような建物が建っていたのだろうか。ところどころにある柱の跡は想像をかき立てる。堀には睡蓮が美しい。プヨの政庁跡を思い出した。

ドレミはもうすっかりお兄ちゃんになついて,さかんに笑い声をあげながら楽しそうに並んで歩いている。二人が車を取りにいっている間にボクは販売機でお茶とスポーツドリンクのボトルを買った。軽く歩いただけでもう体が渇ききっている。

観世音寺は江戸時代初めに再建された講堂と金堂のみが残っているが, 平安時代には九州の寺院の中心だったそうだ。隆盛を偲ばせる日本最古の梵鐘を見上げて

「子どもの頃,何度か悪戯でならして叱られた。」

とお兄ちゃんが笑う。悪戯したのは国宝に指定されている梵鐘だ。

葉をいっぱいに広げたクスの大樹の裏に鉄筋コンクリートの無粋な宝蔵がある。重文級の仏像がずらり10体近く収蔵されている。浮世絵や水墨画は海外に流出したものが多いが美術的にすぐれた仏像はほとんど国内にある。メトロポリタン美術館の日本コーナーにある仏像が全部束になってもこの中の一体にも及ばないだろう。

天満宮への道も観光客ではとてもわからない道を通って終点近くの参道脇にいきなり車でアクセスした。炎天下にはありがたい。

「そろそろ博多に向かわんね。」

参拝を終えていよいよ博多に向かう。

お盆の日曜日なのでホテルの予約をお兄ちゃんに頼んでおいた。

「任しときー。安くていいホテルがあるんだよー。」

とそのときのメールにあった通りドレミがうっとりするようなリゾートホテルだったが問題は会計が済んでいたことだ。

 

「二人にはなみなみならぬお世話になっとるけん」

…お兄ちゃんの言うお世話とはメールで娘さんの教育相談や受験相談にのっていたことを指すらしい。確かに当時たくさんのメールをやりとりしたがこんなに感謝されるようなことではないのだ。

地下鉄に乗って中州に向かう。目的はもちろん有名な屋台だ。しかも地元の人といっしょに繰り出すなんて最高の思い出になるだろう。

駅でボクたち三人をそれと見たのだろう。いかにも観光客の若者があとについてくる。

…ふっふっふ。ついてきなさーい。こちとら博多生まれのお兄ちゃんのガイドだぞ。えっへん。

繁華街を抜けて川沿いに出た。一軒も屋台はない。

「あれ?おかしいなあ。」


首をかしげるお兄ちゃんを先頭に繁華街を逆に抜けて反対側の川沿いまで来たが,やはりそれらしいものはない。お兄ちゃんがカラオケ屋さんの看板を持った人に聞きにいった。いつの間にかついてきていた若者の姿もない。

博多っ子の面目丸つぶれである。教えられた通りに最初の川筋のやや上流に出ると,あったあった。赤提灯に裸電球。てんぷらの屋台である。

しかしそれ一軒きりでガイドブックの雰囲気とはやや違う。どうやらお兄ちゃんが迷ったのではなくお盆は屋台もみなお休みらしい。てんぷらだけが営業中だったわけだ。

客は他に若いカップルに中年の賑やかなカップル,それに一人の仕事帰りらしいサラリーマンだった。ボクたちはわからないので,とりあえずお任せコースにビールを頼んだ。そもそもボクたちはお店で揚げたての天ぷらを食べること自体初めての経験だった。

若いカップルは焼き魚を注文したりして慣れたものだ。女の子が

「いもロック」

と注文する。

「おい,芋焼酎のオンザロックをいもロックというらしいぞ。」

それを聞いてボクらはささやきあった。

「うん」

しばらくして「ドレミちゃん,飲み物頼もうか?」と,お兄ちゃんが聞くと,ドレミは

「ちょっと待って。自分で頼むから」

と言って大きく深呼吸した。

居合わせた客もお店の人も一瞬固唾を飲む。

「えっと…む,むぎロックください。」

やんやと中年カップルが受けてくれた。暫く東京で手に入る焼酎の話をみんなで共有する。屋台ムードは満点だ。

 

三人で一万円の会計だったが高いのか安いのかわからない。ちょっと前に席を立ったサラリーマン風はふぐの天ぷらを頼んでいたのでびっくりするような会計だった。それに比べると安い気もするがお兄ちゃんが払ってくれたホテル代にはまだ足りないことだけは確かだ。心地良い川風に吹かれて那珂川に立つ。川面に映るネオンが風にゆらゆら揺れた。まだお兄ちゃんと別れが惜しかったのでボクは

「次はどこに行きましょうか」

と聞いた。

「そうやねえ,きれいかおねえちゃんのいる店ならたくさん知ってるんばってん,ドレミちゃんのおるとやしねえ。」

職場での付き合いというものを経験したことのないボクは未だにキレイなおねえさんのいるお店というのに行ったことがない。ドレミはときどき,

「どんなとこかいっぺん行ってきたら?」

と真顔で言うが女房に手を振って送り出されて歌舞伎町に行くバカもいない。

「そうだ!ドレミちゃんが楽しめる面白かとこのあるったい。」
「ま,まさかキレイなオニイサンのいるとこではないでしょうね。」
「ははは。まあついてこんね」
と,お兄ちゃんは歩き出したが今度も行ったり来たりした挙げ句,お店に電話してようやくたどりついた。

「テレビで見て,こないだ後輩ば連れて来たら面白かったけん」

看板には

「あなたの常識をくつがえす牢屋風居酒屋」

とある。そりゃあ確かに常識外れだろう。

入り口で婦警さんの扮装をした女の子が待っている。

「逮捕します。」

と,ドレミに手錠をかけて鉄格子の部屋に案内する。まるで学園祭のノリだ。アトラクションタイムになるとモンスターが乱入してくる。お化けと監獄の関係がいまいち理解できないがドレミ受けはよい。きゃーきゃーと叫び声をあげながら博多の夜は更けていった。

翌朝やたらに広い部屋の4畳半くらいありそうなダブルベッドでどちらからともなく目覚めた。

「ここならいっぱい洗濯物干せるのに…」

とはドレミの第一声。彼女にとってはリゾートホテルの広い部屋やベランダも物干しスペースのようだ。

ホテルの駐車場で古いCDナビを操作すると東京までちょうど1200kmの道のりだった。

あとがき

九州旅行から3ヶ月が経ち東京は街路樹が徐々に色付き始める季節になった。ボクの携帯メールは半角500字が制限字数なので,暇さえあれば250字ずつ旅行記を書いては自分のPCに送ってきた。週末にはそれをつなぎ,レタッチした写真と合わせて編集するのだが,面白いエピソードのあった場所とよい写真が撮れた場所がなかなか一致しなくて苦労する。没になった原稿や写真が山のように残った。

博多でお世話になったお兄ちゃんからはその後明太子が樽で届けられまた借りができてしまっている。来春ご一家がディズニーランドにお越しになるとの情報をつかみ,そのときに帳尻を合わせるべく手ぐすねをひいているところだ。

博多からの帰りは山陽道の山中で集中豪雨に遇って予定が狂い神戸付近で渋滞につかまってしまった。ここでよせばいいのに抜け道作戦に出た。すなわち中国道を逆に西に戻り,舞鶴道を通って北陸道から米原に出ようと考えたのだ。ちょうど琵琶湖を大きく一周するようなイメージだ。ところが道道激しい雷雨に遇った上日本海では海水浴帰りの渋滞に巻き込まれた。

国道をさらに外れ海沿いの抜け道を走りながら「なぜ,博多から東京に向かうのにこんなところにいるのだろうか」と自分でもおかしくなった。ドレミは渋滞で無駄な抵抗をするボクの性格を良く知っているので慣れたモノである。黙々と寝て自分の順番が来れば淡々と運転していた。

結局3時間ほどかかって米原に出た。おそらく名神の渋滞をがまんしていても時間は変わらなかったろう。

愛車のBB4プレリュードは帰宅後すぐに整備に出したがクラッチや電気系統にも不備が見つかり引退することになった。凶悪なほどのエンジン性能と引き替えに支払ったスピード違反の罰金が2年半でのべ15万円だった。随分と一緒に楽しい旅をしたがこの九州旅行がラストランとなった。

2005年秋


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