Apr, 2008

古戦場伝説地,高徳院の並び地蔵


1560(永禄12)年,清洲城を出陣した織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を討ち取る.信長の天下統一がここから始まったと言われるがどうだろう.この地に立って,そんなことを思う.

25,000の今川軍に対して,4,000の織田軍が勇敢に突撃した.26才だった信長は,この奇跡の軍の人心を完全に把握していたことになる.カリスマとも天才とも言われる.最強の織田軍団はこの戦以前にすでに成立していて,桶狭間とそれに続く天下取りはもはや必然だったろう.



今川義元墓

織田軍の軍制や戦術は,宿敵今川軍を徹底的にまねて作られたそうだ.討ち取られた義元の首級は,屈強な抵抗を続けた鳴海城将岡部元信が,開城と引替えに駿府に持ち帰っている.


桶狭間の場所には諸説があり,名古屋市緑区桶狭間公園と豊明市高徳院にそれぞれ古戦場の碑がある.信長公記では「桶狭間山」に義元が本陣を置き,「田楽狭間」で討ち取られたとある.

桶狭間古戦場/豊明市栄町
桶狭間古戦場公園/緑区有松町桶狭間