03/クイーンズ

Apr, 2009

もしボクのつたないデジカメ作品の中で,自選のベストショットを問われたとしたらこの1枚を選ぶ.CyberShotの時代に妻を撮った作品で,被写体は逆光に沈み,空は白トビしてしまっている.

ここはクイーンズの小さな駅のホーム.ちょうど到着したサブウェイ7号線を画面に入れようと妻を走らせた.9年前,ドレミはこの街で一人暮らしをしていた.


渡米したのは3月だったが,彼女は春のうちに音をあげた.自分が何をしたらいいのかわからず途方に暮れたのだ.ボクは夏の予定を繰り上げて6月にニューヨークを訪れ,あらゆる親類,知人と会ってはアルバイトでもボランティアでも何でもいいから彼女にできることを頼んで回った.ひと月ほどレンタカーで旅したり,アルバニーのアパートで暮らしたりして元気づけた.それでもボクが帰国するときは泣きべそをかいて寂しがった.ムリもない.大学生のときに結婚して以来,彼女はボクの決めたことを一生懸命こなすだけの10年を過ごしていた.だから自分で考えつく範囲の,すべきこと,やりたいことは半月ほどで尽きてしまった.まして勝手わからぬ異国の大都市であった.

ところが夏を境に彼女は変わった.語学学校で若い韓国人グループと友だちになったのがきっかけだった.9.11で旅行会社のアルバイトこそ失ったが,貼り紙の求人広告や知人の紹介で日本語やバイオリン教師の口を見つけた.休日や空き時間には韓国人たちが野球観戦やバーベキュー,バスツアーなどに誘ってくれる.そして予定通り,秋には叔母のマンションを出て一人暮らしを始めた.それがこの街だったのだ.

マンハッタンでは家賃が高いので,クイーンズにあるアパートでルームシェアリングの募集を見つけたのである.中米系の人たちが多く住む地区で,生活のために賃貸アパートの部屋を又貸ししようとする人たちが多い.キレイ好きで礼儀正しい日本人女性は入居者として人気が高いのだ.

ドレミはこの中南米コロニーのネットワークの中でもバイオリンと日本語指導の口を見つけ,暮れにボクが再訪したときには,自分で切り開いたニューヨーク生活を謳歌していた.

何しろ,半年ぶりに会ったというのに,空港に迎えに来た日に一日だけ一緒に過ごすと,ボクは叔母の家に放置された.仕方なく,ひとりでスケッチや撮影に出かけていたくらいだ.それほど彼女のスケジュールはいっぱいだった.だからアパートを訪問したのは一週間ほどしてからだった.ドレミは(誰かにおさがりで譲ってもらったのだろう)古びた皮のトレンチコートを愛用していて,オンボロだったがよく似合うそのコートを翻しながら,生き生きと行きつけのスーパーやパン屋を案内した.ボクは成長した妻の笑顔を眩しく感じながら,駅からの道々,シャッターを切ったのだった.


今年の旅行の最終日,ボクたちは半日のフリータイムにこの街を再訪することにした.ところが半年も暮らしていたのに,ドレミは駅名もバス停の位置もアパートの場所もすっかり忘れていた.あいにくの土砂降りの中を,数回しか行ったことのないボクの記憶を頼りにサブウェイを降り,バス停を探し,パン屋やレンタルビデオ屋を見つけてアパートにたどり着いた.


アポなしで呼び鈴を押すには,時が立ちすぎている.ボクたちはそのまま上りのバスに乗って駅に引き返した.


この街を訪ねることはもうないだろう.でも,ドレミが半年暮らしたというだけでボクにはこの街が好ましい.雑多で喧騒で活気あるダウンタウンの風情.8年前,新たな教室を出す場所をリサーチしたとき,なぜか東京下町の活気がクイーンズのそれと重なった.ボクは住み慣れた山の手の候補地ではなく,下町にある現在の場所を選んだ.

再訪してみると東京下町とは似ても似つかないがやはり魅力的ではある.もし,もう一度来ることがあるとすればここに移住するときだけれど,ボクたちも忙しくて現世中にはちょっと難しそうだ.

目次へ