07/枝幸

Aug, 2007

えさしと読みます。道南にもニシンで知られる江差という地名がありますが,いずれも漢字は当て字で語源はアイヌ語で「山が浜についているもの」つまり岬のことだそうです。今その岬は神威岬と呼ばれていますが,ここより北にはオホーツク文化期の遺跡は見つかっていません。オホーツク人集落の北限というわけです。

美しい海岸線を見下ろす丘に縦穴住居跡が広がっています。常呂とちがって遺跡そのものが散策できるように整備されています。小雨模様の中を歴史好きらしいお父さんに連れられた家族が歩いていました。復元された住居や倉庫の前で,子どもたちがお父さんの解説を熱心に聞いている微笑ましい光景を背に見晴らしのよい展望所から海を眺めていると,

「ご夫婦で遺跡めぐりですか」

と突然声をかけられました。振り向くと声の主は小柄な男の人でした。カーキ色の探検家が着るような服装をした40才くらいの人がにこにこ笑いながら立っています。一目見てこの遺跡の管理をしている市の職員らしいことがわかります。タローが例によって百年の既知に出会ったような勢いで尻尾を激しく振りながらむしゃぶりついていきます。

「お若い夫婦には珍しい。」

「たはは,若くはないんですが東京から犬を連れて訪ねてきました。」

「常呂には行かれましたか」

「はい,おととい。今朝網走を発ってきました。沿岸の遺跡の中ではここがいちばんキレイですね。」

「ええ,ここは海が見晴らせますから…。」

ボクは枝幸遺跡がいちばん手入れがいいことを伝えたかったのですが彼は景色のことだと思ったようです。彼のような人たちが地道に遺跡の保存に携わっているのでしょう。

ナビにアイヌチャシという文字が見えます。チャシとは砦のことです。擦文文化やオホーツク文化の終焉はアイヌの侵略によってもたらされます。

本州の中央政権が荘園制度で支配を強めると先住縄文人への圧力は苛烈を極めていきました。アイヌのような温厚な民族さえ,土地を追われ北の大地に生きる場所を求めれば侵略者とならざるを得ません。アイヌの戦闘能力は中央で興った武士という専門の戦闘集団にはとうてい及びませんが,せいぜい石器や骨器の鏃に毒を塗った程度の武器しかもたないオホーツク人を滅ぼすには十分でした。ユーカリ(アイヌ口伝叙事詩)の中で,アイヌの勇士に倒される敵はおそらく北海道の縄文人たちでしょう。本州で武士たちの争いに決着がつく頃,北海道はアイヌ文化期に入ります。

湿原の中に走るオフロードをいくら走ってもアイヌチャシにはたどり着きません。一度,国道に戻るとポツリと民家が一軒ありました。玄関の脇に車が止まっていたので,小雨の中をドレミが走って訪ないを入れると,戸口に男の人が驚いた表情で現れました。突然の訪問者の用件にはもっと驚いたことでしょう。

「アイヌチャシにはどう行ったらいいでしょうか。」

暫くは状況が飲み込めずに戸惑っていた男性はようやく目の前のワンピースを着た旅行者がアイヌチャシを訪ねてきたことを理解したようです。

「車で行く道はない。以前は歩いて行けたが今はその道も通れなくなった。」

と教えてくれました。

つわものどもが夢のあとは「遠くから眺めるしかない。」らしく地形を詳しく説明してくれました。

オホーツク人はアイヌに滅ぼされましたがそのオホーツク人や擦文人も北海道に先住していた続縄文人から見れば樺太や本州から渡ってきた侵略者だったわけです。


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