木曽路の中では比較的俗化していないところがいいです.
90年代,ボクたちはアメリカには全く興味がありませんでした.「ベーテー(米帝)」と「アンポ」は,民主的?な若者にとって諸悪の根源だったからです.
ある夏,義母の家に,エイミーというドレミの従姉妹の一人が遊びに来ましたが,一人ぼっちですることがないと聞きました.かわいそうに思ったボクたちは彼女を,この奈良井宿に連れてきたのです.
彼女と話すうちにボクは「アメリカ」という国のイメージと,そこに住む「アメリカ人」とはけっして一致しないという当たり前のことを初めて学びました.
ドレミには,伯父さんと伯母さんが若いときからアメリカに渡って家庭を持ったので,日本語を話せないいとこが何人もいます.翌年,ボクたちは彼らに会うために,アメリカに行きました.
その頃,ちょうど大学生だった彼らは,それこそアメリカ中あちこちの大学に通っていました.ロサンゼルスのパサディナという街にエイミーを訪ね,わざわざニューヨークから駆けつけたフィアンセとも会いました.
それからレンタカーを借り,西海岸からアリゾナを旅して,ユタ州の州都ソルトレイクシティで,ウイノーナとネイサンに会ったのです.
その旅で,ボクはドレミをニューヨークに留学させることを決意しました.
2001年,ニューヨークでドレミの勉強を熱心にサポートしてくれたのがウイノーナです.だから帰国していちばんに彼らを招いたのでした.
冒険好きな夫婦はまるでドレミの後を追うように,すぐ来日しました.