タロー行進曲4才2010/8/3

携帯電話を新調した。夫婦二人とも通話とメール以外には携帯電話を使わないし、ボクに至ってはそれすら週に一本あれば良い方なのである。だから価格や性能について調べたり比較したりすることなく店に行くのだが、前回の買い替えのときには1円と言われ、今回は5万7千円と言われたのには驚いた。その上、キャンペーンの機種だけはいきなり3万円台になる。これほど胡散臭い商品はない。

もちろん、高性能を全く必要としないボクたちはキャンペーン製品その1とその2を買うことにした。だが、ここで通信業界の異常な端末販売について問題提起しようというつもりは毛頭ない。書きたいのは携帯電話を新調することになった原因の方である。実は携帯電話を湖に水没させたのだ。そんなことがない限りは買い替えるきっかけがない。ちょうど良いから二人とも新しいものにしようということになった。

さて、本題の水没である。それは合宿2日目のことだった。ボクたちの合宿所は湖に面した宿でタロー天国である。去年、タローは子どもたちのボートを追ってどこまでもどこまでも沖に出てなおみを心配させた。ところが今年は様子が違う。泳ぎ出すまでは同じなのだが、ある程度まで行くとくるりと向きを変えて戻って来るのだ。去年から今年にかけてタローの体力の衰えが顕著だ。

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その日の午後はなおみの授業だったので、ボクはボートにM奈とタローを乗せて湖へ漕ぎ出した。

2

ちょうど授業も休み時間になったらしく、岸から子どもたちが手を振る。去年までなら迷いなく湖面にジャンプしたタローが今年はじたばたと飛び込む姿勢を取るばかりだ。M奈がしびれを切らして

「タロー!チキンすぎる!」

3

と叱咤すると水面下に鼻がつくほどまで首を突き出すが腰はますます引けている。桟橋になおみが姿を見せて

「タロー、カム!」

と呼ぶと、ようやく決心がついたらしく、ざばりと水に入り、泳いで行った。

4

「やれやれ」

遠ざかるタローの後頭部を見ながらボクとM奈は顔を見合わせて笑った。それからボートを沖へ漕ぎ出した。M奈にボートの漕ぎ方を教える約束だったからだ。遠ざかる岸に、タローがなおみのもとにはい上がっていくのが見えた。身を震わせて水を散らしたタローもこちらを見た。するとどうだろう、タローが再び湖に飛び込んで、ボートを追いかけ始めた。なおみもボクもタローは疲れたら引き返すだろうと思っていた。

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ところがタローは引き返さなかった。ずっとボートを追って沖に来た。静かな湖面に夏の日差しが降り注いでいた。

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タローの息遣いが荒い。

ボクとM奈はタローをボートに引き上げようとしたがそれは無理だった。タローは荒い息のまま、ボートの脇を懸命に泳いでいる。もしかしたら岸までは戻れないかもしれない。タローのお腹に手を回して支えると、喘ぎ声が少しやわらぐが、そのまま岸まで誘導するのは難しい。

溺れてからでは遅い。ボクは決心して靴を脱いだ。本当はシャツと短パンも脱ぐべきだったが、そうするには、最近のM奈は少々きれいになりすぎている。

「M奈、何とか漕いで来てくれ。」
「えー!」

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よしんばボートが流されても泳いで助けに戻ればよい。ボクは衣服のままするりと水に入り、タローを支えながら岸に向かって泳いだ。シャツが体に纏わり付くがタローを抱えて泳ぐくらいはなんでもない。タローは犬かきもやめて、心地よさげに身を委ねている。本当に溺れそうだったのかどうかはわからない。

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岸に上がった。遅れてM奈の操るボートが桟橋に戻ってきた。まだ「ボートは後ろ向きに漕ぐ」というところまでしか教えていなかったのだから、あっぱれと言えるだろう。

9

ボクはと言えば、ワンパク少年少女たちと同じように、庭のホースで頭から水を被るはめになった。横をすり抜けて遊びに行こうとするタロー。おっと、そうはいかない。もとはと言えばお前のせいである。ホースのシャワーにつき合ってもらうぞ。

10

タローを捕まえようとして屈んだとき、濡れた短パンのポケットに固いものが入っているのに気づいた。携帯電話だった。もちろん、それっきりうんともすんとも言わなかった。さて、この事件の一部始終を冷静にデジカメで記録したのが、M奈に代わって急遽、合宿のアシスタントに来てくれたYuです。明日は逆にボクがYuを撮った作品を紹介しましょう。

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