タロー行進曲7才2013/1/10

祖母は今週末,ホームに入所することになっている。その報せを受けたのはもう暮れのことだったので,昨日,講習明けいちばんに祖母を訪ねた。出勤前のこととて,何もしてあげられない。せめていっしょに渋谷の名店街に行き,お弁当を買って帰ってお昼を一緒にすることにした。祖母は元気な頃,渋谷でおいしいものをあれこれ買うのがとても好きだったので喜んで車に乗り込んだ。

ところが渋谷駅に近づくと,突然,

「昔,住んでいた住所に行ってみたい。」

と,言い出した。祖母は生まれも育ちも浅草。ちゃきちゃきの江戸っ子だが,戦後,祖父といっしょになってからは,ずっと渋谷に住んでいた。だから明治通りあたりの風景を見て急に懐かしくなったのだろう。

場所探しは困難を極めた。祖母の記憶がなんとも頼りないからだ。

祖母は体の具合も応答も家事もやたらとしっかりしているのだが,如何せん物忘れがひどい。数分前の記憶が曖昧で,録音テープのように同じ話を繰り返す。だからもう一人暮らしはムリで,ホームに入所するのは仕方ないことなのだけれど,記憶力以外は至って健康なので,かえって本人も回りも辛い。

当時を知る人に電話をかけまくって,古い住所や目印の小学校などを聞き,とうとう場所をつきとめたが,住んでいた家はもちろんないし,周辺もずいぶんと変わってしまっているので祖母はとまどうばかりだ。

なおみが思い切って隣家とおぼしき家の呼び鈴を鳴らした。

「あら,ちしろクン」

愛想よく玄関に現れたその家の人を祖母が覚えていた。かつてのお隣の息子さんの名は千尋さんだが,江戸っ子は「ちしろ」になってしまう。彼の顔を見て,ようやく祖母もここが昔住んでいたところに間違いないと納得したようだ。

「しゅういちさん,なおみちゃん,ありがとう。」
「どういたしまして,お安いご用です。」
「これから仕事で間に合うかしら。」
「急いで行けば大丈夫です。」

送っていく道すがら,この会話は10回以上繰り返された。結局,名店街に寄る時間はなくなってしまったが,祖母が喜んでくれたのでよかったと思う。

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