木曽路をゆく
- 2024/03/27 22:16
全日勤務のなおみを送り迎えするデー初日。快晴の予報に反して雲行きが怪しいので,松本平に出るのをあきらめ,19号を南下してみた。
2021年に桜沢トンネルが開通し,「これより木曽路」の碑は旧道に外れることになった。
木曽路も高速化している。
奈良井宿
あいにく北半分が工事中でなかなか写真の画角には制限がある。
車も写らないようにするのは我ながらなかなかのテクニックである。
鍵の手
井戸水。
長泉寺…禅宗の寺は訪れる人に優しい。三浦海岸で岩浦山福寿寺を訪ねて以来,禅宗の寺なら行ってみるのが習慣となった。
拝観は無料。有名な天井絵の撮影も可能である。さすがにお賽銭を収めた。
中央西線 奈良井駅
ひとつ北の平沢宿…通過しようと思ったが…
こんな味な小道の奥にひっそりと設定されている駐車場を発見したので下りてみた。
Googleマップを見ると,町外れに史跡「さんがりやま」とある。「すばらしい」という口コミも一件ある。探しに探したがそれらしき何もない。
意地になってきた。役場の駐車場も観光客に開放されていたので車を停めて歩くことにした。
芭蕉の句碑があった。
「送られつ をくり果ては 木曽の秋」
背後の小山を登るとおなじみ4本の柱に囲まれた諏訪神社だった。
胡桃沢勘内という人を初めて知った。
役場から出てきた人に「さんがり山」を尋ねるとおおごとになってしまった。二人の女性がそれぞれ物識りの知り合いに電話をかけてくれる。平沢の〇〇さん,楢川の△△さんの情報はやはりボクが探した諏訪神社の向かい付近ということで一致していた。現在は山ではないが交差点の名前として残っているとのこと。
では史跡とは何だろう。もう一度周囲を探すと崖のカーブミラーの裏に幅30㎝ほどの小道を発見した。
「これか!!」
…とばかり勇んで上ると,最近の村長が建てたらしき,開拓碑があった。史跡と言えるかかなりビミョウである。Googleマップの情報精度はまだこの程度であった。
さらに北に戻り贄川駅。
あの丘の上に登ればいい写真が撮れそうだ。
厳しい坂だった。
50-500を担いで登ってきたので顔色が悪い。
珍しい旧式の電車が労に報いてくれた。
駅を見学していたときに恐ろしいスピードで特急が通過した。
ここで昨夜なおみと作ったお弁当。なおみも母もそれぞれ食べているだろう。
旧道があればあえて入ってみたが,奈良井と平沢を除けば各宿場町は観光客に対してウエルカムではない。
木曽路はスケッチ場所に困る。結局,洗馬まで北上して畑の中にお邪魔した。
美ヶ原を背景に中央西線。
スケッチは北風が強く,手がかじかんで思ったようには描けなかった。
洗馬は贄川に比べて塩尻に近く民家も多いが駅はほぼ同じ風情。
このまま廃線跡の施設となっても不思議ではない。
寒風のスケッチに疲れてなおみの終業時間まで平出遺跡の駐車場でへばって寝た。
岡谷で久しぶりに丼丸を買って帰ると母が異常に喜んだ。
「おいしいおいしい」
と写真を撮りながら一人前を平らげた。眠りに就くまでずっと言い続け,たぶんあちらこちらにLINEしている。ボクたちが手作りして置いて行ったお弁当についてはひとこともない。老いはコワい。人格まで変わってゆく。