OUR DAYS

不妊治療

なおみが流産したのは22才のとき、大学を卒業してすぐの夏でした。ボクたちは彼女の在学中に結婚したので、新婚の3年間は妊娠しないようにしていました。だからわずか数ヶ月で流れてしまったその赤ちゃんがボクたちにとって最初の、そして結局最後の赤ちゃんでした。

なおみの傷は心身ともに深く、回復するのに半年くらいかかりました。ボクは妻を励ますために

「今度、子どもができたら山で育てよう。」

と提案しました。ちょうどそんな年令になっていたボクは八ヶ岳に家を建てたのです。自然の中で父や母ともいっしょに暮らして育ち、やがて村まで歩いて通学する、週末にはボクが東京から帰ってくるという日々を思い描きました。ところが待てど暮らせど赤ちゃんができません。やがて同世代の友人たちが次々と結婚しておめでたの知らせが届くようになりました。

卵が着床しやすいヨガのポーズというのがあるのをご存じですか?

なおみは基礎体温をつけ、排卵日の数日前になると禁欲期間をとり、その夜のあとは逆立ちするようなヨガのポーズを1時間。不妊関係の本も読み漁りました。そして数年後、意を決して総合病院の産婦人科で不妊治療にかかりました。

ある日ボクは看護婦さんに呼ばれて

「これに精液をとってきてください。」

と試験管を渡されました。

「ど、どこでですか?」
「トイレですよ。」

ボクは素直にそれを受け取り、地下の売店でヌードグラビアのついた雑誌を買って、なるべく人気の少ないトイレに行きました。

その日も卵管の通気テストを受けているなおみのことを考えると、ボクが検査を躊躇することはできないと思ったのです。なおみが毎回受けているいろいろな検査は、激しい羞恥と痛みを伴うものです。目を真っ赤にして検査室を出てきたこともありました。

検査の結果は二人とも異常なしでした。


体外受精

高性能のPCやプリンタが普及して、誰でも写真を使ったキレイな年賀状を手軽に作れるようになりました。ちょうど不妊治療をしていた頃、ボクたちが友人からもらう年賀状も9割方が赤ちゃんの写真でした。母のもとにも孫自慢の写真年賀状がたくさん届けられました。当時も今も知人や友人のおめでたを心から祝福する気持ちは変わりません。あれこれお祝いのプレゼントを考えるのはとても楽しいし、写真を頼まれればレフ板を持って飛んで行きます。それでも、妻が、母が、めくってもめくっても愛らしい赤ちゃんの写真が出てくる年賀状に黙って目を通している姿をみるのはとてもつらいことでした。

最初のうちこそ、あれこれ心配していた母も、この頃には妻のことを思って何も言わなくなっていました。なおみはそんなある年の秋、人工授精をしたいとボクに言い出しました。

ボクは…ボクはずっと長い間、自分の「子どもが欲しい」という気持ちをねじふせ続けたために、もう本当の気持ちがわからなくなっていましたが、もちろん明るく同意しました。

ボクたちの選んだ病院は偶然にも近くにあり、新幹線で遠くから通ってくる患者さんもいるほど評判の病院でした。専門医院は同じ悩みを抱える人たちばかりなので、総合病院とは格段の環境です。不妊治療は健康保険の対象にはならないので検査や薬にはとてもお金がかかりますが、ボクたちは楽しく希望に満ちて通院しました。検査を受けながら何種類もの薬を飲み、幾度か採卵して人工授精も試みました。しかし結果はいずれも失敗し、どうやらなおみの場合、状態のよい卵がなかなか採取できないこともわかってきました。当時の(今もそうかも知れませんが)医学と法律の範囲で、残る道は渡米し、親族から提供された卵に人工授精を施す方法しかありません。なおみの従姉妹がニューヨークに住んでいたため、彼女は検査を続けながらも真剣にその方法を検討し始めたのです。

タロー

「もうやめよう。なおみは10年近くも一生懸命によくがんばった。」

何度目かに人工授精した卵の成長が「8分割したところで止まった」という連絡を病院から受けたあと、ボクは妻に言いました。

「いつか何十年かたって医学が進歩したら、ボクたちのような悩みがうそのように解決するときがくるだろう。でも今はこれが限界だから、ボクたちは二人っきりの将来を考えることにしよう。仕事を二人だけでこじんまりと続けらるようにして…そうだ。大きな犬を飼おう。」

たぶん、ボクはこう言ったように記憶しています。丸一昼夜泣き続けたなおみは翌日、

「犬の名前はタローね。」

泣き腫らした顔で言いました。

それから3年間、ボクたちは爪に火を灯すようにして資金を貯めた後、大きくしようとばかり考えていた仕事をスタッフに譲り、1年の休養期間を取りました。その間になおみをニューヨークに留学させたのは、新しく二人で始める仕事のためもありましたが、学生時代から10数年もひたすら子どもを欲しがった彼女を、思いっきり解放してやりたい気持ちがいちばんでした。1年の休養で、すっからかんになってしまったボクたちが、新しく始めた仕事をなんとか軌道に乗せるまでにさらに3年が過ぎました。

探し始めてすぐに良いブリーダーに出会え、子犬が決まったと伝えると、知人の誰もが

「あ、タローくん、いよいよね。」

と、名前まで知っていて喜んでくれます。ずっとなおみが会う人ごとにこう言ってたからです。

「仕事が落ち着いたらゴールデンを飼うの。名前はタローよ。」

7年間待っていたタローがもうすぐ家に来ます。

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