OUR DAYS2008年2008/8/4

徹夜明けの…もっとも厳密には徹夜になりませんでしたが…午後、ちょっと体調が回復している気がして、新百合ヶ丘の先にある施設まで、義祖父のお見舞いに行ったところが大渋滞。三人してへろへろになってしまいました。でも祖父が喜んでくれたからよしとしましょう。


ボクたちだけに通用することわざに

「腐っても世田谷通り」

と言うのがありまして…。世田谷通りは、家の近くの三軒茶屋という町を起点に西南西に向かう幹線道路です。なおみの実家や音楽教室のある町田市と都心を結んでいて、ボクたちには大事な道路なのですが、なんと片側一車線しかありません。北に甲州街道と中央道、南には246、東名高速が通る扇形の中央部を走っているために、完全に道路整備計画から取り残されてしまいました。環七、環八、府中街道など、東京西部の名だたる渋滞道路と交差する上、この扇形に、世田谷、成城、新百合ヶ丘、町田など新旧の大ベッドタウンを抱えているため、完全に交通は麻痺しています。拡幅工事もバイパスも不可能で、今どき、並行する小田急線の踏切に数台の車が並ぶと、もう本線が進めなくなる場所が何ヶ所もあったりします。最高記録で渋谷から町田まで5時間かかったことがあります。

だから、たとえどんなに遠回りと思えても、東名や中央道経由にすべきなのです。深夜や雨の日曜午前中など、つい甘く見て、使おうものなら「やっぱり、腐っても世田谷通り!」…「渋滞など有り得ない時間でも、恐ろしい世田谷通り」という意味です。

この日も「魔が差した」と言うのでしょう、行き先が新百合だったこともあって、つい世田谷通りに入り、未だことわざの生きていることを確認したような次第でありました。帰りは迷わず横浜青葉インターから東名経由。

留守番していればいいのに…。人気のまったくない公園で遊んだこの一瞬以外はひたすら車に乗ってるだけだったタロー。おつかれさん。

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