OUR DAYS 2009/3才2009/7/14

「今日のチケットです。ご自由にどうぞ。」

いつものカレー屋さんにルーを買いに行くと,ガラス窓にJリーグのペアチケットが貼ってあるのが目に付いた。我が家は味スタのある京王沿線にあり,FC東京の地元である。協賛する駅前商店街では,加盟店に招待券が回る。

「おばさん,これもらっていいの?」
「あら,どうぞ,どうぞ。」

ボクはちらりとなおみを見た。彼女はボクに付き合ってテレビ観戦はするが,むろん競技場に足を運ぶほどサッカーが好きなわけではない。

「行ってもいいかな。」
「いいわよ。」

以上,目で交わした会話。

こうして,ボクたちは宵の口からJリーグの試合を見にいくことになった。飛田給駅には急行列車が臨時停車し,大勢の観客が列になってホームから歩道に続く。行く手には美しいスタジアムが夕空に映えて浮かびあがっている。かつてここは飛行場だった。スタジアムの建設当時,通勤で毎日,側を通っていたので懐かしい。ボクたちの席はホーム側の2階自由席で,無料では申し訳ないようないい場所だった。

通路には「アウェイのサポーター立ち入り禁止」という看板が立っている。ジョークなのか本当に喧嘩になるのを防ぐ目的なのかわからないが,ゴール裏のサポーター席はすでに全開の盛り上がりを見せていて,青赤のチームカラーでうまっていた。響き渡る歌声に否が応でも気分が高揚してくる。なんて居心地がいいのだろう。地元の人にしかわからない空気。これがホームなのだと実感した。

「ねえねえ,どっちがナラザキ?」

試合が始まると,なおみが耳元で囁いた。

「あっち」

ホーム席で交わすには危険な会話だ。ボクも無声音で答える。楢崎選手がロングパスを一気に前線にフィードした。

「今,パスを受けた11番がタマダだよ。」
「ふーん。」

スターティングメンバーでなおみの知っている選手のすべてである。

「あたし,食べ物買ってくる。」
「ああ,頼むよ。」

実際,これほど盛り上がっているとは知らず,涼しい夜風に当たりながら,ビールとジャンクフードを楽しむのが二人の目的だったのに,試合前はどの店も長蛇の列で買えなかったのだ。

ところがなおみが席を外して間もなく,左サイドに回ってパスを受けた石川選手が,ドリブルで名古屋のDFラインを切り裂いて先制点をもたらし,観客席はお祭り騒ぎになった。最近,新境地に目覚め,絶好調を伝えられていたベテラン選手である。最高のゴールシーンに,買い物に行かせてしまって可哀想なことをしたと思っているところに,

「ワッショイ!ワッショイ!ワッショイ!イェー!」

と踊りながらなおみが戻ってきた。

「何だ?それ。」

聞けば,タコス屋さんに並ぼうとしたときに大歓声が上がったので,思わず近くの立ち見席に飛び込んだところが,もろにサポーター席の真っ只中だったそうで,一緒になって騒いできたという。ワッショイワッショイは得点したときに歌われる東京ブギウギに合わせた掛け声である。

スタジアムの雰囲気に呑まれ,二人とも地元意識を煽られてゆく。全くサッカーを知らない人が,スタジアムに行った途端,地元チームのファンクラブに入ってしまうことがあるという。そんな人の気持ちが良く分かる。

今度は右サイドを鋭く突破した石川選手が出したマイナスのパスを,後方から飛び込んだ羽生選手がシュートした。楢崎選手がたまらずこぼしたところに詰めていたカボレ選手が何なく追加点を決めた。

「カボレカーボレ,恋カーボレ!癖になっちゃうカボレー!」

これは確かに癖になっちゃうカボレ。

ボクたちがサッカー場に来たのは初めてではない。昔,ゴン中山選手やカズ選手を見るために磐田や平塚のスタジアムに行ったことがあるし,ロベルトバッジオ選手が来日したときは国立競技場に並んだ。しかしこれまでホームチームの応援に行ったことはなかった。

これほど不公平な声援に加わることは普通あまりない。何が何でも味方には大応援。敵に有利な判定にはブーイング。観客席の一角を占める名古屋のサポーターも少数ながら懸命に応援している。選手同士が交錯して倒れると,正否の前にそれぞれ倒れた味方選手の勇気を讃え,その名を声を限りにコールする。聞いてるだけで快感である。

後半になってもFC東京が圧倒的にボールを支配し,ロスタイムにも加点して快勝した。選手たちのビクトリーランがゴール前に回ってきたとき,ちょうどボクたちも駅に向かってゴール裏を歩いていたので,サポーター席の後ろから覗いてみた。

ブラジル人助っ人のカボレ選手が陽気にファンサービスしている。大歓声の中でボクはミスター東京と呼ばれたアマラオ選手を思い出していた。JFLで現役復帰したと数日前の朝日新聞が報じていた。若いサポーターたちの中には,もうアマラオ選手を知らぬファンもいるだろう。


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