OUR DAYS2010年2010/7/014

10数年前、ボクはアメリカが大嫌いだった。

ベーテー(アメリカ帝国主義)は平和と民主主義の敵、諸悪の根源だと信じていたからだ。ボクとなおみは当時共産圏だったハンガリーの音楽教育システム(コダーイメソード)を取り入れて、合唱団と幼児クラスを教室の中心にする準備をしていた。

そんなある日しらべ荘で夏休みを過ごしていたボクたちのところに義母から電話が入った。ニューヨークから義母の家に遊びに来ている従妹のエイミーが、行くところも話し相手もなく寂しそうにしていると言う。ボクはアメリカがきらいで、アメリカ人とも会いたくはなかったが、ひとりぼっちの少女を放っておくことはもっとできなかった。

翌日、招きに応じ高速バスで八ケ岳にやってきたエイミーの外見は、思わずボクが舌打ちしたくなるほどアメリカそのものだった。もちろんそのとき、その少女との出会いがボクの人生を大きく変えようとは思ってもいない。

01

エイミーの美しさは15年たった今年の夏も変わっていない。ボクが霧の中で箱根の関所を撮ろうと苦心していたときのことだ。エイミーが寄って来て、ボクの手からタローのリードをそっと受け取って行く。思わずレンズが建物から彼女の方に引き寄せられた。確かに黄色いビニールの雨合羽をここまで優雅に着こなすモデルは希有であろう。だが、ボクとレンズが魅せられたのは彼女の外見の美しさだけではない。撮影を助けるために黙って犬を預かろうとする心映えの美しさだ。

15年前の夏の日もそうだった。

どこに連れて行っても、まずボクの運転疲れを気にした。それからどんなことにも感動した。

「サルと会っちゃった。サルと会っちゃった。」
「お寺で正座しちゃった。」

違う!違うぞ!ボクの想像していたアメリカ人とは全く違っていた。それは別に彼女がハーフだからではないだろう。歴史やニュースに登場する「アメリカ」と実際にその国にすんでいる「アメリカ人」とは違うのだということを、ボクは35才近くになって初めてこの少女に教わった。

せめてなおみだけでもNYCに留学させるのに、それから5年の準備と1年間の休業を要した。もし、ボクが20代でエイミーと会っていたら、ボクとなおみはきっとNYCを目指して別の人生を歩んでいたかもしれない。

NEXT