亡くなった伯父の忘れ形見、大学生のジーンは葬儀のあとも展覧会の後始末などをしていた。帰国する前に東京でやっておきたいことはあるかと聞かれて、
「なおみちゃんとゆっくり会いたいから頼んで欲しい。」
と、答えたそうだ。
なおみはニューヨーク時代に彼の日本語家庭教師をしていたので心やすいのだろう。激動の日々が一段落して、安らぎを求めていたのかもしれない。本当に一日中、おしゃべりしながら街を歩いたという。ディナーにはボクも合流し、月島でもんじゃ焼きを食べた。
伯父に反抗して遠くの大学に通っていたが、どういう風の吹き回しか、この夏、伯父といっしょに来日することを早くから申し出ていたそうだ。伯父はジーンと日本に来るのをとても楽しみにしながらニューヨークへ帰って行ったのだった。ジーンは秋に大学の編入試験を受けてニューヨークに戻りたいと言った。
こちらボクがへらさばきも鮮やかに焼いた豚玉(お好み焼き)。