OUR DAYS2010年2010/11/25

確かボクが小学生のとき国語の教科書に載っていた物語だと思う。

ある原っぱが市の公園に造成されることを知った子どもたちが抗議の座り込みをする。遊び場を守るために木に登って抵抗するが、やがてあえなく排除され、大木はブルトーザーに倒される。半年後、花壇や芝生、遊具なども整備された公園に立つこどもたち。

「たぬきもカブトムシもいないじゃないか!」
「ボクたちが欲しいのは公園じゃない。原っぱなんだ。」

当時の渋谷周辺では、まさしく毎日どこかで原っぱが消えていた。だから、この物語を読んだボクたち小学生の共感は深かったように思う。今、国や地方自治体で責任ある立場にいる人たちも同じくそんな世代だろうに…大人になるとやっぱり原っぱより公園の方がよくなるものらしい。

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この原っぱにタローとボクはずいぶんと世話になった。何しろ1才から4才までのタローの運動量たるや半端ではなかったので、めったに人の来ないこの河川敷は貴重な場所だった。うきうきと斜面をかけ下ると、恐ろしいスピードで、ホントに数秒で向こうの橋のたもとまで藪をぐるりと一周して来る。

切り株を踏み抜いて大けがしたタローを担いで帰ったのも、雨の翌日に走り回ってどろんこになり、なおみに叱られたのもこの原っぱだった。

2

区役所の車がちょくちょく乗り入れてくるのを見かけてから半月ほどしたある日、突然にそれは始まった。

3

そしてあっという間だった。夏には向こうの人が見えなくなるほどの草丈だった原っぱは数日後にアスファルトの遊歩道になった。

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都心では珍しく葦で覆われていた岸辺は、根こそぎ削られて、砕石で埋め立てられていった。夏の終わりごろ、ボクはその葦の岸にたくさんの蟹や1m以上あるヘビの抜け殻を見つけたりしたものだ。

タローは大人になって、もうただ走り回ることはなくなったし、子どもたちは隣接する野球場や芝生の公園で遊んでいるから、原っぱがなくなったことを悲しむ人はほとんどいない。

行政機関はここは「公園」、ここは「花壇」、ここは「道路」と何でも区別していくのが好きだ。そしてやたらに看板を立てては目的外の使用を規制していく。

だがどうだろう。ただの原っぱ、ただの藪、ただの林、ただの岸というものは、本当に町にとって必要のないものなのだろうか。 

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