正月2日の夜、母方の伯父の訃報が届いた。頑固な伯父で、家族や親戚とはトラブルが絶えなかったが、なぜかなおみのことは「なおちゃん、なおちゃん」と呼んで可愛がってくれた。
翌3日の朝、ボクとなおみが葬儀場の霊安室で亡きがらに手を合わせていると、案内してくれた伯母の携帯電話が鳴った。遺品を整理し始めた従姉からで「葬儀で展示する絵をシュウちゃんに選んでほしい。」と言う。それで思い出した。伯父はボクの絵の弟子だったのだ。もう10年以上前のことだ。絵を描きたいと言うので道具から教えた。
伯父の家に行くと、従姉が数冊のスケッチブックを持って家の前まで出て待っていた。タローを慮ってのことだろう。ボクがゆっくり絵を見られるようタローは義従兄が散歩に連れて行った。
路上で開いたスケッチブックの中に懐かしい風景画がたくさんあった。小山田の雑木林、八ケ岳、しらべ荘の庭、みな師弟で写生した場所だ。デッサンの狂いが目につく。
「おじさん、いくら教えても一向に聞いちゃいなくて、なかなか上達しなかったんですよ。」
「うふふふ。でもベレー帽をかぶって写生していたらプロの絵描きと間違えられたって自慢してたわ。」
スケッチブックをめくっていくと、水彩の風景画に続いて、鉛筆デッサンの妖艶な美女が現れた。
従姉によれば、その美女の正体が誰にも分からず、今朝からみんなの関心の的となっていたらしい。
「ヒロコおばさんですよ。」
ボクは即座に答えた。
「えー!?」
「うそー!!」
疑うなかれ。先生の言うことに間違いはないのだ。何となれば、そのデッサンはボクが出した課題のひとつだったからだ。茶筒や部屋の一隅、そして身近な人を描かせるのは、デッサンを教えるときのボクの常套手段だ。いくら美人の叔母がモデルとはいえ、確かに当時としてもいささか若くグラマーに描きすぎだが、そのヘンのデフォルメは先生の影響を受けているのだろう。
「これは何かしら」
従姉がスケッチブックの最後のページを開いて見せた。なんとそこに貼ってあったのはボクがちょうど12年前の卯年に出した年賀状だった。
「茶筒25分、椅子30~40分…どういう意味?」
従姉は伯母譲りの美しい顔をかしげてボクの顔をのぞき込んだ。
「これはですね…」
賀状に箇条書してあったのは鉛筆デッサンの課題と規定時間だった。伯父は言われた通りに課題をキチンと描いていた。上達しなかったのは、あるいは先生の教え方が下手だったからかもしれない。
正月のこととて斎場の手配もままならず、伯父の葬儀は週末までずれ込んだ。ボクたちは講習中なので欠席させてもらうつもりだったが、無理をして告別式に行った。そして弟子の柩に、削りたての青いステッドラー(*注1)を一本納めてきた。
*注1 青いステッドラー…絵描き御用達のドイツ製鉛筆