OUR DAYS2011年2011/1/25

日曜の補習が終わってから八ヶ岳しらべ荘に行った。父がまた入院している。母と大河ドラマを見ながら遅い夕食を食べ、明けて翌朝は薪割りをした。母もなおみといっしょに薪を運ぶ。

「ひとりだとヤル気がしなくてねー。」

と、照れたように言う。もっともだ。

この冬、しらべ荘に最新式の「FF石油ファンヒーター高地仕様」を設置したが、構造上、薪ストーブの温かさにはとうてい及ばない。だからやっぱり薪割りは必要だ。作業中に手を休めると、たちまちタローが寄ってきて、「投げてよ」と、ボールを押しつけてくる。タローは雪遊びが好きだ。

病院に行き、父の昼食の世話をなおみに任せて、母を諏訪湖畔まで連れ出した。今年は冷え込みが厳しいから「御神渡り」が現れそうだと地元の人たちが言う。「御神渡り」とは諏訪湖が全面結氷したときに、膨張した氷が湖面からナイフのようにせり出して来る現象である。古来、諏訪大社の神が氷の上を渡った痕だと信じられている。

この日の氷は「なんちゃって御神渡り」で、膨張ではなく、湖面を渡る強い寒風が氷を吹き寄せてできたモノらしい。それでもカメラ好きの母の気晴らしには十分だった。母が言う。

「よかったよ、shuが楽しそうで。これだけでも凍ってたから。」

おりょりょりょ。それって、楽しませてもらってるのはボクの方ってこと?

まあ、いちばん楽しんでいたのがタローであることは間違いない。

病院に戻り父の主治医と面談した。父に回復の見込みはない。面談は終末医療を在宅にするか入院にするかの相談である。ボクたちは暫くの間このままの入院治療をお願いすることにした。山での越冬に母はまだ慣れていない。生活が精一杯なのだ。雪が降れば母の運転技倆では出かけることすらできなくなる。

面談を終え、病室に母を残して、明るいうちに東京に向かう。うしろ髪を引かれる思いだが、ボクたちも帰って家事をこなし休んでおかなくてはならない。教室の仕事は今週から佳境を迎える。

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