OUR DAYS2011年2011/4/20

深夜になると遊歩道の人通りも絶えるので、ときにはちょこっとボールフェッチをすることがある。先日もタローの熱い視線に押し切られ、リードを解いたところで遠くに人影が見えた。

やり過ごすためにいったんリードをして引っ張る。わざとタローが抵抗できる程度の強さで引き、「こらこら、わがまま言ったらダメだぞー。」的な演技をして、人が通り過ぎるのを待つ。主従でじっと立っていては通行人も気味が悪いだろう。その不自然さをコミカルに解消するための方便である。

ところがどうしたことか、件の人影は真っ直ぐずんずん近づいて来て、とうとうボクとタローの間に割って入り、リードを掴んで立ち止まった。なおみくらいの年令の女性である。

「こうするのよ。」

いきなりボクにそう言って、タローには

「つーけ!」

と命令しながら、自分の腿をパンパンと叩いた。タローもボクもまさに目が点である。

「おかしいわね。たーて!つーけ!!」

パンパンパン!派手な音を立てる太ももをタローが呆然と見上げている。

「あなた、なめられてるんじゃない?ダメよ、甘やかすばかりじゃ。」
「は、はあ。」
「つーけ!」

今度は強くリードを引っ張ったので、困ったタローが立ち上がり、ようやく脇に立つと、彼女は満足げにリードを絞り、真っ直ぐ進行方向に気をつけの姿勢で立った。それから

「つーけ!」

と、言いながら歩き出そうとするが、もちろんタローは動かない。

「あら?変ねえ。つーけ!」

また強くリードを引いたが今度はタローも動かない。座り込んで引きずられないように耐えている。

「おっかしいわねえ!何でついてこないんだろ。」

ふつう知らない人にはついていかない。

彼女に悪気があるわけではないので口には出さなかった。悪気はないが、あまりにも有難迷惑である。世の中には変わった人がいるものだ。

「遊んでくれてどうもありがとうございました。さ、タロー、アップ!」
「ふぐぐぐ」

ほっとしたのかタローはヤケに素早く立ち上がり、くるりと反対側に回ってボクの足元に立った。

「それじゃ、失礼します。」

あっけにとられている彼女の手からリードを受け取る。

「ヒール!」

後ろも見ずに並んでずんずん歩き出した。

☆…☆…☆…☆

「タローは英語しかわからない。」

と、母もよく文句を言うが誤解である。タローをしつけるとき、初心者だったボクたちは、パピーウォーカー向けの育児書に忠実に従ったのだ。「アップ」や「ヒール」などのコマンド(命令言葉)は日本でも盲導犬を飼う人はみな使う。ただ、タローは幼い頃、なおみの発音でしつけられてしまったので、母の「カム(kamu)!」が「come」のことだとは分からないだけなのだ。最近、母も考えて「カン!」と言って呼ぶことにした。タローもそれなら分かるらしく素直に従っている。

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