OUR DAYS2011年2011/9/9

それは小さな橋を中央付近まで渡ったとき突然に来た。右腰の筋肉が刃物で刺されたかのように激しく痛みだす。急性広背筋炎、すなわちギックリ腰である。しかもまずいことに、治りかけていたはずの咳が胸を込み上げてきた。これは大惨事になる。ボクはこらえきれずに手を口に当てながら後悔した。

前日から痛みはあったので気をつけていたつもりだった。が、やはり油断していたのだろう。休日に訪ねて来た後輩に近所のイタリアンで気前よくランチをごちそうした帰り道だった。風邪も長びいていたし、妻も感染ったのか不調をうったえていたので、何もなければ二人して家で寝ているはずだった。

ごほ!うがぁ!
ごほ!びぇ!
ごほ!あふん

咳をするには激しく腹筋、背筋を使う。まるで自分の咳が炎症中の腰に斧を打ち込んでいるようなものである。最後の「あふん」はあまりの激痛に混乱した脳が誤ってドーパミンを分泌したものか、一瞬、背中を冷感と快感が走ったのだ。

ボクは自らをギックラーと呼ぶくらいギックリ腰のベテランである。経験者はご存知だと思うが重いものを持ち上げたとき「あ、いて」などというのはギックリ腰のうちに入らないくらいの軽症である。本物のギックリはこうして、筋肉に蓄積されていた疲労が堰を切ったように噴出することで起こる。ちょうど突き指した指のように全く力が入らない。

妻は店を出たところで別の道を行った。駅前の薬局に寄って咳止めを買うためだ。橋の欄干に手を伸ばしたが低くて届かない。あと5cmが屈めない。石の欄干はたもとだけが少し高い。ボクはそろそろとたもとを目指して移動した。激痛に視界が眩み、脂汗がぼとぼと落ちる。右手が石にかかった。

よく「その場に崩れ落ちる」などと言うが生温い。崩れ落ちると言うのは、頭をかばいながら、全身の筋肉をしなやかに使って、怪我をしないよう気をつけてしゃがみ込むことである。それだけ余裕のよっちゃんで何を大袈裟な。腰が完全に麻痺した状態ではそれこそ棒のようにばったりと倒れるしかない。それがいやなら立っていることだ。ボクはじっと目をつむり、激症が過ぎるのを待った。

どれくらい経ったろうか。ボクは意を決して歩き出した。或いは人から見れば立っているだけに見えたかもしれない。が、分速10m。坦々と進んでいた。通りを曲がったところで、心配して戻ってきた妻の姿が見えた。

ベッドに横たわり、湿布だ、指圧だ、テーピングだと妻がインターネットでヒットする療法を片っ端から施してくれるが痛みはちっとも収まらない。動かすと痛いとかそういうレベルではない。横になろうと、仰向けになろうと、立っても座っても、さすっても冷やしても、ずしずしと痛む。ちょっとでもひねったりすればたちまち脳天を突く甲高い激痛が走る。七転八倒した挙げ句、規定量の倍のバファリンをストレートのウイスキーで飲み込んで寝た。

今朝も今朝とて、妻の助けで大騒動しながら近所の病院に行った。筋肉に弛緩剤注射を打ってもらったので、ようやく「ずきずき痛む」程度を得て、横になっている。この間、鎮痛剤の眠りから覚める度に気を紛らわせようと、携帯にこの手記を綴った。時々は読み返して教訓としよう。

腰に違和感あるときはゆめゆめ油断してはならない。

今、用足しに起き上がったら、痛みは朝よりはずいぶんとマシになって、人格を保ちながら耐えられる程度になった。明日は何としても出勤しなければならない。座薬を使うか、もう一度、注射に行くか…。


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