OUR DAYS2012年2012/7/12

午前中で片づけようと思っていた仕事がずれこんで出発は2時過ぎになった。天気予報では太平洋側の天気が良くない。とりあえず関越に乗った。なおみは助手席で早くも寝息をたてている。午前中ずっとPCに向かっていたので疲れたのだろう。疲れていなくても車に乗るとよく眠る。ときどき運転を交代してもらうのでその方が都合はよい。高崎ジャンクションでもあんまり気持ち良さげに寝ているのを起こしたくなかったので、相談せずに上信越道に進路を取った。

コーヒーが飲みたくなって車を停めると、ようやく大きなノビをして眠り姫が目を覚ました。

「ここ、どこ?」

きわめて妥当な質問である。かと言って、本人は正確な現在地を把握したくて聞いているわけではない。ボクは答えの代わりに妙義山を指差しながら言った。

「日本海まで走ろうか。分厚いお刺身食べようよ。」
「うん。」

なおみが目を輝かせた。

「コーヒー、買いに行ってくるー。」

上越で高速を流出すると、あちらこちらの看板や幟に謙信公の文字が見える。数年前、大河ドラマでブームになった名残りだろう。この町はかつて軍神と言われた上杉謙信の本拠地春日山城の城下町である。明日の朝は城跡を訪ねよう。これでやっと旅の目的地が決まった。

長い夏の日はようやく暮れ、空がほんのり朱く染まり始めた。ボクは雁木の町並みを通り抜けて海岸に急いだ。

浜へ下りると、若いカップルが波打ち際ではしゃいでいた。かつてのボクたちの姿が重なった。

駆け落ち同然で学生結婚したボクたちにとって、貧乏旅行は唯一のレジャーだった。なけなしのお金でオンボロクーペにガソリンを入れ、日程の許す限り旅に出かけた。海があれば終日寝転び、山があれば歩いた。夜になったらタオルケットにくるまって車で寝た。今でも車泊の気楽さがクセになっている。

ある夏のこと、糸魚川で大きな魚の看板が出ている店を見つけて車を停めた。なおみが恐る恐る店の様子を見に行く。予算の苦しいボクたちは、そのとき何日も日本海を旅しながら、一度も魚を食べていなかったのだ。メニューを覗きこんでいたなおみが嬉しそうにジャンプしながら手招きした。分厚いハマチ刺定食が700円だったのだ。彼女はいたく感激し、以来ハマチが大好物になった。だが、ハマチはどう考えても糸魚川の地物ではない。養殖か遠洋の冷凍ものだったのだと思う。だが妻の幸せそうな笑顔を見ていたら言いそびれてしまった。呆れるほど貧乏だった頃の楽しい思い出だ。

「今も貧乏はあまり変わらないか。」

車の近くで夕日を眺めているなおみを振り返ってボクは苦笑いした。今夜だって宿はない。

夕日が沈むのと一緒に思い出もまた少し遠ざかっていった。空が暗くなる前に関川にかかる橋に移動して三脚を立てた。休日カメラマンにとっては残照といえども貴重だ。露出や構図を考えながら無心で撮っているのは日常を何もかも忘れて楽しい。真っ暗になって車に戻ると、盛んにスマフォを操作していたなおみが言った。

「いいとこ、見つけたよ。」

地元の人に人気のある居酒屋である。便利な世の中になったものだ。かつては銭湯も食堂も、まず電話ボックスを探し、電話帳の住所を地図で見つけては電話して問い合わせたものだ。

「銭湯はいいのか?」
「出かける前にシャワー浴びたからいい。それにあした温泉行くでしょ?」

再び車を海岸の駐車場に停め、歩いて居酒屋に戻った。

地元向けの店は入りづらい。旅人が思い切って暖簾を分けても暫くはぎごちない空気が漂う。が、それも最初のうちだけだ。ボクたちは店の人や隣席の人と仲良しになるのが早い。タコもイカも舌にとろける。おすすめは夕方あがったというドロエビだった。香ばしい焼き加減がゼツミョウの業だ。巻貝を甘く煮付けたお通しも美味しかったので、マスターに単品として注文できるか聞くと、

「クロバイガイって言うんですよ。もう、これで終わりですから…」

と、言いながらサービスしてくれた。それじゃあ、冷酒をもう一本!

飲んだくれたら車に戻って寝るばかりである。汁をすすったクロバイガイの殻から日本海の香りがした。

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