朝,吉見百穴の駐車場に車を停める。景色が記憶にあるので,昔,両親が百穴に連れて来てくれたのかも知れない。
…が,もちろん百穴に犬は入れてくれないので,ボクらの目的地はここではない。
岩室観音…ここからも登れると思うんだけど…
や,やめとこうかな(;^_^A
ここが正しい登山口
やっぱり険しい(;^_^A
やる気満々のタロー
タローにせかされて,数分で頂上へ
ふうふうふう。
「何なの?ここ」
…と,なおみがいちおう聞いてくるが,たいした答えは期待していない。
ところがどっこい,松山城跡。訪ねたわけは大有りなんだよ。
このショット大事です。→
松山城は室町時代初期の築城で,その後北条領となっていたものを,1561年に上杉謙信が攻め落とし,
猛将太田資正(おおた すけまさ)を城主に任命したことで,重要拠点として歴史上に登場した。
ところでこの資正公,大の犬好きで松山城に犬50頭を飼って訓練していた。
奪還を目指す北条氏康が3万の大軍で松山城を包囲した際,資正は愛犬5頭を岩槻城に走らせて急を知らせ,その援軍を受けて撃退した。 さらに武田・北条の連合軍5万6千にも,友軍同士,犬を使った連携で守り抜いている。
こちら,軍犬が駆け下ったと思われる岩槻方面(南東)の石段…急である。どうした?タロー(笑)
あ,何,勝手に二の丸まで退いてる!!
…と,言うわけで,犬好きかよほどの好事家でなければ訪ねないレアな城跡探訪であった。
秋らしい爽やかさ。
祭日と言うのに閑散とした駐車場
道の駅に寄ると,隣の畑に一面,コスモスが咲いている。
行ってみると思ったよりずっと広い。
あられもない姿でスマホを構える。
こんな写真撮ってる。ばーか。
展望やぐらの上から
松山城でついてしまったヌスビトハギの種をひとつひとつ取っている。
さて,そろそろホントの目的地に行くか。
ここ?この土手が目的地?
そう!!これが石田堤。
石田三成率いる2万3千の大軍が忍城を水攻めにしたときの堤である。
忍川に沿った部分だけが堤防として残ったと思われる。
当然だが駐車場に他の車はない(笑)
橋を渡ると石田堤史跡公園なる広場に展望所あり。
忍城はこっちの方かな。
新幹線しか見えない。
これで今回の歴史探訪はおしまい?
何を言うか!まだ,石田三成陣所跡があるではないか。
もっともそこは,さきたま古墳公園の中にある。
これである。
正確に言うと三成が丸墓山古墳と呼ばれるこの見晴らしの良い円墳を指揮所として使ったのである。
麾下,大谷吉継、長束正家、佐竹義宣、多賀谷重経、真田昌幸という錚々たる顔ぶれ。
水攻めにこだわったのは秀吉の命令によるものだったらしい。
戦後の大名たちの言動を見れは三成が忍城攻めで見せた将才を認めざるを得ない。
能吏とは別の三成像がこの山には残っている。浮き城と呼ばれた忍城が遠望される。(←画像クリックで拡大)
教科書でも有名な稲荷山古墳にどうしても行ってみたいとなおみが言う。
稲荷山古墳…古墳時代後期の5世紀後半に作られた前方後円墳。
例に漏れず古墳群として世界遺産登録を目指しているが果たしてどうか。
のどかな今のままの佇まいが身の丈にあっていいと思うけど。
美しい蓮池
さてさて探訪はここまで。
祭日のこととてそろそろ東京に向かわないと渋滞に巻き込まれる。
行田に行ったらぜひ食べてみたいと思っていた行田フライなるB級グルメ。
いちおう有名店に行ってみると,これがたいへんな行列である。
たははは。
「並ぶのもまたレジャーのうち」と,待てるくらいにはボクもオトナになった。
皿からはみ出す,これがフライ!!とても安い!!
足袋工場で働く女工さんたちの間で人気メニューになったという由緒アリ。
焼きソバとセットが定番らしいが,ボクらにはちょっと重いので,そばは二人で一皿にした。
それでも苦しかった。
…で,のぼうのイミテーション観光城には行かなかったのかというと,さにあらず。
前夜に到着してバルブ撮影しに行った.
実は既出の道の駅は,一夜,仮眠させてもらったところ。
無人の深夜,城の周りをさんざん走り回って遊んでいたタローとなおみが,
とうとう飽きて,座り込むものだから,星の光跡は中途半端になってしまった。
画像クリックで拡大→
おしまい