OUR DAYS2015年2015/2/9

ボクがmakomakoとrikoに初めて会ったのは,今から4年前。当時やはりボクたちの教室に通っていたお兄ちゃんの野球の大会を応援に行ったときだ。野球に退屈していた二人はバックネット裏でタローを見つけてすぐに仲良しになった。

ほら,まだタローより体が小さい.

二人はとても愛らしい容姿の双子だが,二卵性のためか顔や性格はあまり似ていない。それなのに算数がとても苦手だということだけはそっくり瓜二つだった。入会面談でお母さんが「上の子とちがって,二人とも本当に算数ができないんです。」と心配そうに相談されたとき,

あははは,任せといてください。大丈夫。

…と,安請け合いしたが,二人の算数はボクの想像を遥かに遥かに凌駕していた。

算数がてんでできない中学受験生と算数担当講師の長い長い苦戦の日々が始まった。たとえ一桁の足し算をミスしてもにこにこ笑って計算し直させる,今,教えた同じ問題をやっぱり分からなくても,同じ調子で繰り返し教える,またその次も繰り返し教える。翌日も1ヵ月後も半年後もにっこり同じ調子で教える…それがボクの取った作戦だ。…と言うよりほかになすすべがなかった。どんな教育法も教材もウデも経験も全く通用しない。ベテランとしての自信も自負も,泥の塔のようにあっさり粉々に崩れ落ちた。

幸い,二人とも算数以外はよくできて,理科の難しい問題も社会科の暗記もコツコツ根気よくついてきた。困ったことには二人揃って…当たり前だが…ウルトラ早生まれの三月が誕生日なので,如何せん考えることが幼い。国語の読解問題など,ちょっと恋愛や友情なんかが絡んだお話になると,きょとんと全くアウトオブサービスに入っている。

5年生の後半になる頃からボクはあせり始めた。とくにmakomakoは志望校の偏差値より15点くらい低い状態だった。6年生になってからは,休日に呼んで特訓したり,別メニューを考えたり,もがきはじめた。二人の受験校の先生が教室に挨拶に来られたときには,「算数はワタクシが責任をもって入試までに基礎力を鍛えますからお願いします!!」と,床に頭がつくほど深々とお辞儀した。そして能なし策なしのダメ先生のようにひたすらにこにこ指導を続けた。訪ねてきた卒業生は厳しかったボクの豹変ぶりを気味悪がった。なおみ先生とお母さんはかりなく,もし合格しなかったときの公立中学の手続きや勉強の相談をしていた。だが…

makomakoとrikoだけがボクを信じていた。山のような計算宿題も日曜や夜遅くまでの特訓にも黙々とついてきた.そしてとうとう奇跡は起こった。

この二人の合格を端緒にあれよあれよ,とうとう中学受験生が全員第一志望に合格してしまった。緊張とプレッシャーで前日から食べ物を受け付けなくなり保健室受験の手続きをして受けた女の子も,調子が上向いてきたのを見て,直前にボクが偏差値60を超えている難関校勝負を決断した男の子も,みんな受かってしまった。ボクは今年の運を全部使い果たしてしまったか。…否,こうなったら久々に高校入試も全員第一志望合格のパーフェクトを達成するチャンス!!足腰立たないままだが今日も休日補習に向かうのであった。

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