OUR DAYS2015年2015/9/14

一日中何も予定のない休日は,7月以来だったかもしれない。だからホントは外出したくなかった。それに朝から腰の具合がとても悪い。それでも出かけた。


毎日,朝に晩に通る桜田門の交差点

霞が関の駅から内堀通りに出て,国会議事堂に向かうと国会前の横断歩道に警察隊が鉄柵を設けて本気で横断を阻止していた。

ここは最もアプローチの難しいコースだった。


香港やモスクワではなく,東京なのだから,デモにも暗黙のルールと言うものがある。

もちろんアリバイ的に警備は必要だが,どうせ最後は歩行者天国状態になるのだから,ある程度のところで,

わー,こりゃダメだ。

…と,手を抜いて押し切られてくれないと,後から後から駅から人が来るのでそれこそ怪我人が出かねない。若い警官にはその加減が分からない。命令通り真面目に職務を遂行する。

きっと,若い自衛官たちも,戦地で命令通り真面目に銃を取るだろう。

バリケードがそんなに本気とはつゆ知らず,なおみの手を引いて,横断歩道を渡ろうとしたボクは,もろにデモ隊と警察隊の揉み合いの中心に巻き込まれてしまった。腰痛で右足に全く力が入らず,すうっとあっけなく舗道に倒れた。周りにいたお年寄りたちが寄ってたかって助け起こしてくれた。

もみくちゃの雑踏の中である。一つ間違えば大けがをしてしまうので,もう正攻法はやめた。柵のない場所から警官の持っているロープの下をくぐって中央分離帯に走った。そこで草の上に座って二人で休んだ。そして来る途中,新宿のヨドバシカメラに寄って買ってきたスティックライトをリュックから取り出した。主催者がブログやツイッターで「各自,光ものを準備してきてください。」と,呼びかけていたからだ。光で国会を包囲しようということらしい。デモの様子も昔とは変わった。色々な人がいる。仕事帰りのサラリーマンやノンポリの学生らしい人,それにふつうの主婦,年配の夫婦。シュプレヒコールも歌のようだ。


ボクたちは未来を憂う人たちの流れとともに国会に向かって歩いた。


戦争ができるようにしたいなら,正々堂々と憲法を改正すべきだろう。

 もっとも9条を改正する気なら,このデモの人数は10倍になるだろう。


腰が限界に来たので,人の流れを妨げないように離脱することにした。バリケード代わりにぴっちり並んでいる装甲車の間を何度もジグザグと縫って舗道と車道を行ったり来たりした。何だかいい被写体が歩いて来たので流れに戻った。


そのとき,なおみが群衆の中に原村の幟を見つけた。人をかき分けて近づいてみると,果たして旗手はしらべ荘の向かいに住むKさんご夫妻だった。

 母がほとんど毎日世話になっている。ここのところ,辺野古や原発の再稼働があって,毎週のように上京してはデモに参加しているとは聞いていたが,まさか数万人の行進の中で出会えるとは思わなかった。


内堀通りを渡ってから振り返ると,参加者がますます増えていくのが見えた。

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