OUR DAYS2016年2016/1/20

まだ,寒波の来る前,12日の朝に義祖母が亡くなって,今日その葬儀があった。完全介護の施設に入所してちょうど3年だった。

生前,最後に会ったのはその10日ほど前の元日,新年会の帰りに寄ったときだった。お正月で施設に迷惑かもしれないから日を改めることも考えたが,なかなか来られないからと思い直した。施設はお正月でも特別なことは何もなく,静まりかえって何だか不気味だった。祖母は真っ暗な部屋で寝ていたが,なおみが声をかけると目を覚ました。数年前までは親戚中を自宅に呼んでの大新年会が恒例行事だった。ボクはどうもそこの人間関係が苦手で,特に祖父が亡くなってからは,たいてい欠席して数週間後に年始に行っていた。

「なおみちゃん,ちょっと寒いよ」

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目覚めた祖母は言った。ここ一,二年,とみに記憶力が落ちて,一時間前のことはもう覚えていなかった。訪ねて来る人があってもほとんど誰か分からなかったそうだが,たまにしか行かないボクたちのことは「なおみちゃん,しゅういちさん」と,不思議にいつもわかった。母のことも分かったらしく,きちんと挨拶しようと思ったものか,ベッドの手すりにしがみつきながら体を起こそうとした。数回で諦め,江戸っ子らしい口調で

「だめだ,こりゃ」

と,呟く。なおみも介助して起こしていいものかどうか分からないでいた。母が祖母の足のすねを見て驚いた。静脈注射のあとだらけでほとんど紫色をしていた。口には出さなかったけれど,ボクたちはそれぞれそのときに覚悟はしていたと思う。この祖母はボクたちの結婚当初,賛成してくれた数少ない人たちの一人だった。

葬儀も斎場だけの簡素なものだった。祖母の棺には喜寿やら金婚式やら記念日に親戚が集まって寄せ書きした色紙が何枚も体が埋まるほどに納められていた。そのほとんどの中央のイラストと飾り文字はボクの作品だった。記憶にないものも多かったが,ペンと水彩で舟に乗った七福神が描かれている米寿の作品は,事前に託されたのだろうか,我ながらなかなかの力作であった。

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