OUR DAYS2016年2016/11/17

この見知らぬ病院のロビー

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救急搬送されて来た。今年の不運は終わっていなかった。

13時半頃,いつものように職場近くの河原でタローと車を降りた。車を運転しているときから脇腹と背中に強い痛みがあったが,いつもの腰痛だと思っていた。途中で激痛に変わり,河川敷の道に倒れこんで気絶しそうになった。水辺で遊んでいたタローがさすがに不審に感じたのか,戻って来て体に乗りかかってきた。

ま,待て。いててて。わ,やめれ。

正気が戻ったうちにと急いでなおみに電話して何とか土手の上まで這い上がった。車の中で迷わず119番した。今までに経験のない痛みだった。七転八倒しながら問診を受け,車いすに乗ってレントゲンとCTを撮った。

主治医は30代,アニメ声の女医だった。当直の看護師二人も若い女性で,デスクにいる婦長ような人だけが初老だがやはり女性だった。ボクは痛みに弱い上,母譲りの大袈裟なので,痛い痛いと言っても一般の人の8割くらいと見てください。我ながら痛がり方が恥ずかしくてそう言うと,部屋中ウケた。

「おしっこ出ませんか。尿検査すると胆石か尿道結石かすぐにわかるのですが…」

主治医のアニメ声に,ああ,そういう系の病気なのかと合点しながら,ムリすれば少しなら出ますと答えると,看護婦がしびんを差し出した。

ま,待て。この部屋の真ん中で女性四人に囲まれておしっこするのはいくらなんでもムリすればの範疇を越える。…そう言ったが取り合ってもらえない。紙コップをくださいと懇願し,ようやく両側から支えられながらトイレに歩いた。主治医の話だと,結果的にこれがよかったらしい。

「石がずいぶんと下に移動したようです。」

診断は尿道結石。アニメ声は内科医だが,CT,レントゲン,血液,尿検査の結果が揃っているので間違いないだろう。薬で散らして,ひたすら水を飲み,石が排出されるのを待つ。胆石ならこのまま入院だったと言われた。痛み止めを飲みベッドに横になると,小一時間後には痛みが引き,帰れる運びとなった。

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病院を出た。隣接する公園に桜が満開だった。紅葉とここまで満開の桜は不思議な光景だ。今のボクには不吉にすら見える。

タクシーで教室に戻ると,なおみが「一人で2クラス見られる授業メニュー」を作ってきりきりまいまいしていた。網膜剥離の手術のときも,救急搬送のときも「奥さんには連絡が取れているのですが,仕事の手が離せないため,付き添いできないそうです。」と受付から主治医へ冷ややかに報告された。

その通りですとボクは胸を張る。

ボクたちの仕事は代わりがいない。たとえ親が危篤でもどちらかは教室を離れられないだろう。今日もものべ40人以上の子どもたちがボクらに会うのを楽しみにしている。クリスマス会が近い。授業の中で英語の歌のギター伴奏も務める。お弁当も夕方のタロ散も普段通り。そして中学生の授業に入った。こちらも途中に歌の練習が入る。

その伴奏中,19時50分頃,再び痙攣するような痛みに見舞われ蹲った。原因がはっきりしているので不安はないが痛みは昼より鋭かった。事務室のタローのハウスに潜り込んでありったけの衣類を重ねて掛けた。処方された座薬を入れ,ひたすら痛みに耐えた。気絶しそうになったらまた119番するしかないとスマホを握りしめた。なおみは淡々と「一人で2クラス見られる授業メニュー中学生バージョン」に移行し,ときどき様子を見に来る他は一人で授業をしていた。

小康を得て,なおみの運転で帰宅し,現在11時30分。三たび痛み出した。アニメ声は「薬で散らして排出を待つ」とだけ言っていたが,こんなに波のように痛みが来るとは教えてくれなかった。教えてはくれなかったが,耐えられない痛みのときに使って下さいと書いた座薬を何個も処方してくれている。

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