天才料理に何分立っていられるかを試したが0分だった。
仕方ないので,座ってなおみに指示し,ここ一番だけ立った。
回復の道のりは遠い。
夏日の炎天下,いつものように自宅のある梅が丘からちゃらTが歩いてやってきた。
最初,玄関にちゃらTが現れても耳が遠くなって気づかないタロー。
なおみに言われてそうと気づいたあとはタイヘンな興奮状態となった。
全く他の人とは別の特別の感情表現をする。
これはどうしたことだろうと考えるに,かわがってもらった記憶とともに,友情を感じているというのが共通の見解である。
この男,すでにわが弟子と呼ぶには面はゆいほどに才能がありすぎる。
4月に転職。そのとき久しぶりに旅に出て,サンフランシスコからお土産のリクエストを聞くLINEが入っていた。
頼んだサルサソース,少々届けるのが遅い。…事情があった。
3年間付き合って,ボクたちとも懇意になっていた彼女にふられていた。
男のロマンが理解されなかった傷心の春,ボクらに報告しづらかったのはもっともなことである。
奮発!お見舞いのベルギービール。だが,少々遅い。病院に来るかと思っていた。…事情があった。
ネットで知り合ったYちゃん(仮名)という新しい彼女ができていた。
オフで会ったら雷に打たれたかと思うほどかわいかったそうだ。
浮かれポンチの初夏,ボクらに会いに来るヒマなどなかったのはもっともなことである。
タロー,何度もボールやぬいぐるみをくわえてきて,ちゃらTに遊びをせがんでいたが,如何せん体力が続かない。
そばに寝たまま尻尾をぱたぱたしている。
何だ,もう少しゆっくりしていけよ。
「これから吉祥寺でYちゃんとデートなんすよぉ(でれでれ)」
一度,雷に撃たれた方がいいぞ。
多摩センター時代の教え子からは花が届いた。
リハビリ計画書に「朝夕30分の散歩」とあるので,ミラーレスを提げてなおみとタロ散に出た。
遊歩道の相生橋(徒歩3分)までで動けなくなった。
腰痛史上最大の痺れが右脚を襲った。数分間植え込みの柵に腰かけて耐えていたら発作が引いた。
尿管結石のときと同じくらいの痛みだったが,原因がわかっているので気絶しそうにはならなかった。
…が,回復への道はここからスタートかと思うと気持ちが萎えそうになる。
外食に出掛けたかったが諦めた。
ちゃらTが買ってきてくれたサルサソースをベースにワインビネガーや砂糖で洋風の甘酢を作り,揚げ茄子を浸した。
さらに甘酢はバルサミコ酢を加えて煮立て,粉をふってグリルしたチキンのソースにした。
絶品,天才チキンと茄子のサルサソース浸し。
ただし,天才クッカーはスツールに腰かけ,
「ボウルにワイン酢,…はいそれくらい,砂糖…」
と,指示するだけで,実際の料理はなおみがした。
「包丁を当ててザク!ズン!とチキンを切って5切れずつ盛る。衣の取れた2切れまな板に残す。」
タローの分である。
自分の分だとわかっているので,この姿勢のままじっと動かずにアピールを続ける。
よだれの海にならぬうちに,なおみがもったいぶって与えた。