パールマンを聴きに行った日の夜,麻婆豆腐と酸辣湯スープを作って帰京していた母と晩餐を囲んだ。
亡き父の誕生日が近いので麻婆豆腐が好きだった亡き父を偲ぶ恒例の行事だ。
母はやはり上京していた会津のタエちゃんにおしゃべりランチに誘われて来ていた。
マロンがいるのでゴイックさんが迎えに行き,帰りはボクが送るというオオゴトになる。
おしゃべりと言っても一方的にタエちゃんが近況を話すだけらしい。
なおみが疲れ気味なのでタローと一緒に留守番させることにして,ボクと母は台風の通過を待ち,夜の8時頃中央道で原村に向かった。
台風一過の晴天を見込み,翌朝4時起きして観音平に出かけた。
珍しく母も乗って来た。…が,持って来たGX7のバッテリーが切れていた。
「カメラマンとは言えないなー」
と笑った。
日の出前の星空がキレイだったので雲が少なすぎる。予想通り朝焼けはしなかった。
でも,まあ母子の撮影会はけっこう楽しい。母もiPhone7plusでなんとか富士山を撮っていた。
戻ってみると,今は原村が紅葉の盛りだった。
しらべ荘の庭がいちばん美しい。
大工のIさんが8時半に来てくれた。約束しておいたのだ。
ひと月ほど前,母が風呂場で転んだ。手すりを含めて危険な箇所の改造計画である。
びゅうびゅうと音を立てて冷たい風が吹き始めたので,外に出られず午前中は寝ることにした。
どうやら木枯らし1号だったようだ。
昼はおっこと亭に行った。
20年も前に父と母が来て余りよくないと言っていたので以来ボクたちは一度も来ていなかった。
誤解だった。そばは地粉を使った自家製の麺がとても旨かった。
そもそも味音痴の母のインプレッションを信じたのが失敗だった。20年間である。
ヨドバシカメラのテニスコートの紅葉
自然文化園のイロハカエデは一週間遅かった。
まるやち湖に行って
「オフクロ,すき焼き食いたいな。」
と言ったらこれもずいぶんと喜ぶものだから,なおみに夕飯は帰れないとLINEして冨士見のJAに行った。
信州産の和牛を1パックだけ,車麩と白滝と葱をどっさり入れたシュウスペシャルすき焼きは旨い。
深夜割引が適用されるよう10時になってからしらべ荘を出た。
底冷えがして車に真っ白く霜が降りていた。
母の翌朝のLINEではこの霜でしらべ荘の紅葉はすっかり終わってしまったそうだ。