OUR DAYS 2020年2020/12/13

12月12日深夜

八ヶ岳しらべ荘に着いたのは深夜12時,比較的気温が高く水道の開栓にも支障はなかった。

ボクはなおみから温かいミルクティーのボトルを持たされていつもの農場へ下りた。空に向けて二台の三脚を立てる。ふたご座流星群が極大に近い。澄んだ空には毎分1個の割合で明るい流星が降る。

3年前のあの日,検査入院していた病院から退院したタローはとても水を飲みたがった。ボクたちの代わりに迎えに行った母と偶然訪ねてきていた弟は困って職場にLINEしてきた。退院の際に医者から水分の制限を伝えられていたからである。ボクたちは苦笑したまま顔を見合わせ,なおみが早退して地下鉄で先に帰ることにした。仕事を終え「タローに水を飲ませた」というLINEを受け取ったボクはふたご座流星群を撮ろうと思い立って返信にその旨を書いた。

「オッケー♪」

ことさらに明るいスタンプが返って来た。帰り道の星撮りはいつもなおみを先に帰してタローと二人で出かけた。当時暫くはタローの体調が悪くてずいぶんとご無沙汰だった。若洲の岸壁に三脚を立ててブロックに寝転んで取り出したスマホに訃報が飛び込んだ。動転したボクはどうした拍子か片付けようとした三脚をバラバラに壊してしまった。プロが使うような頑強な三脚がどうした拍子で壊れたものだろう。

暫く星を撮れなくなったボクは少しずつ本当に少しずつ心のリハビリを続けた。ふたご座流星群に挑むのはあの日の若洲以来である。感傷に襲われると覚悟していたが,氷点下での設営にそんな余裕はなかった。黙々と作業した。目視できる流星は無数だったが,30秒開けているカメラに露光させるほど明るい星が画角に入ることはなかなかない。

20121301.jpg

1時間ほど粘ったがうまく写ったのは撮影開始直後,南に向けていた5Dが捉えていたこの1枚だけだった。

12月13日


5DMarkIII+Tamron172D

ベランダに母の切干大根が干してあった。この大根がいつも絶品の旨さである。…が,どうやら今回の分は一度取り込み忘れて凍みてしまって失敗とのことである。凍み豆腐は聞くが凍み大根はどうなんだろう。


5DMarkIII+Tamron172D

「それ,レンズよ。こないだ整理してたら出てきた。」

母がテーブルに置いたタムロンのオレンジ色の箱を指さした。使うなら持って行けという意味である。25年くらい前,銀塩時代の172Dだった。中袋や梱包材までキチンと買ったときのままにしまわれていた。母にしては極めて珍しいことだ。よっぽど大事にしていたものと見える。使っていたのは母が今のボクより5,6才年上だったろうか。リタイヤしていちばんカメラに夢中になっていた頃かもしれない。そんなに高いレンズではないのだ。高級レンズを惜しげもなく買っていた日テレカメラクラブの仲間たちに交じりなが,自分ではフンパツしてタムロンのズームレンズを買ったその頃の母を想う。 


5DMarkIII+Tamron172D

5Dにカチリと付いて驚いたようにAFが作動した。柔らかな優しい色合いの画を出し始めた。歴史の古いマウントならではの楽しみである。

いいな…

どうだい。オレのラインナップに加わるか?老レンズに話しかける。

富士見のJAに買い物に行き,帰りには母が世話になるであろうご近所などにお歳暮を持って挨拶に回った。

父の墓にも寄った。

最近はセブンイレブンのコーヒーもやたらとおいしくなった。たぶん味音痴の父には分からないだろうけど。

帰宅した。なおみがケーキをデコレーションしている。本当はスポンジから焼くつもりで材料や道具を持って来たが義母から宅配便でロールケーキが届いた。

彼女が卒寿のときは誰がお祝いしてくれるだろう。それを思わずにはいられない。ボクはいない。タローもいない。ボクとタローとが魂魄になって全力でお祝いすればなおみの心に届くだろうか。

今年,母の卒寿と義母の喜寿,それにボクの還暦がコロナ禍に重なった。

今日はタローの三度目の祥月命日でもある。

落ち葉や段ボールを燃やしている。おいおいと泣きながらタローの服や日用品を燃やしたのはいつのことだったろう。あの年の春だったか一年目の冬だったか。なおみが泣きじゃくって抱えるものだから布団やリードやシーツや大半は処分できなかった。今でも布団は毎月干して洗い立てのシーツでハウスは清潔に保たれている。首輪やリードもピカピカでいつでも散歩に出られる。

夕方から二人で年賀状書きをした。ふと顔を上げて西の窓を見ると真っ赤になっていた。

「そら!タローが呼んでるよ。」

大急ぎで農場まで下りたがもう夕焼けは終わっていた。

背後で気配がしたので振り返ると雲の中から阿弥陀岳が姿を現した。

20121315.jpg

最近お友だちになったKさんのお宅にもカレンダーを届けた。

三人で夕食を囲むのはこれが今年最後になる。

麒麟がくるを見ている間に玄関先に三脚を立てて流星群を狙ってみた。

20121318.jpg

大物は写らなかった。テレビを見ながらの星撮りに流星の女神は微笑みかけない。

12月14日

夜来の雪が朝も舞う。

雪が降るとき気温はさほど低くはならない。

20121410.jpg

蓼科でも今シーズン最初の本格的積雪になろう。まだ湖面が凍っていないタイミングにいるのは珍しいので久しぶりに御射鹿池に出かけてみた。

20121411.jpg

ちょうど湖畔についたときに雪が激しくなって全身雪だるまになった。カメラバッグは見る見る雪に埋もれた。X-E2の内蔵ストロボを強制発光させて雪を写そうとしたショットはすべて失敗したが,雪が激しかったので5Dの高速シャッターにも雪が写った。

20121402.jpg

御射鹿池/奥蓼科
5D MarkIII+EF70-200mm F/2.8L

御射鹿池2/奥蓼科
5D MarkIII+EF70-200mm F/2.8L
新しくできた駐車場の前あたりからテレ側のショットです。

狙い通り池の半分にはまだ森の木が反映していた。今夜にも全面結氷するかもしれない。

ビーナスラインに出て昼前に茅野まで下りて警察署に行った。母の免許更新については別スレッドに書いた。

免許の更新ができてほっとした。それからホームセンターで買い物をした。トイレに置く電気ストーブ,灯油の缶とポンプ,靴の滑り止め…考えつく限りの母の冬支度。

遅いお昼ご飯はレストラン「808」。

値段もリーズナブルでそれほど気取った場所ではないが,ウエイトレスが水やアイスコーヒーを運んできて声をかけてくれる。それがとても照れくさい。春から一度もこういう場所に来ていなかったからだ。ウチからいちばん近いレストランなのでかえってこれまで来る機会がなかった。今回,外食しない禁を破ってまでランチに寄ったのには理由がある。808の若い店長である。

母が毎朝のウォーキングのとき,出勤してくる彼と顔を合わせて挨拶するうちに仲良しになった。原村でいちばん新しい知り合いである。

沼津の親友木こりのCさん夫妻はこの週末にもこちらで会う予定だったが,本人たちではなく特注で加工してくれた梯子が送られてきた。駿東にも感染者が増えだして自粛ムードにあるようだ。梯子はぴたりと納戸の手すりに合った。精度が1mmの1/10という世界で仕事にしている彼にとっては難しいことではないのだろう。

昼の運転免許更新テストで疲れ果ててへばっている母を励ましながら,新しい灯油ポンプや電気ストーブの使い方を教えた。母はこういう作業をしたことがない。全て父がやっていたからだ。

20121412.jpg

大工のIさんは忙しいスケジュールの合間を縫って,明日には母の寝室の壁に断熱材を足す工事をしてくれることになった。

しらべ荘で越冬したいという母の希望は確かにわがままと言える。実際に多くの人の助けを必要としている。だが高齢者がこの冬,東京で引きこもって暮らすことのリスクは大きい。報道はされないだろうが持病や認知症を悪化させて自立できなくなる人が続出すると思われる。母とボクたちの判断はもしかしたら正しいかもしれない。

NEXT