OUR DAYS 2023年2023/5/22-26

5月22日/天気悪い

ウォーキングのとき,道路が紫色になっている場所で見上げると…

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ヤマフジが今を盛りと咲いている。

5月23日/最終会議

ストーブを点けた。ドレミは練習中。ボクはZoomで絵本の編集部と最終の会議があった。

5月24日/鉢巻サイクリング

朝起きるとベランダの水が凍っていた。手がかじかんでぶるぶるとウォーキングに出る。

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道路をキジのケンちゃんが渡っていた。道路が紫色になっている場所で見上げるとヤマフジが今を盛りと咲いている。

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今日もゴミ捨てだったので北側のコース。

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数日来,雲の中だった入笠山が顔を出した。今日からは晴れるようだ。

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朝顔とゴーヤのネット

明日は母を連れて温泉にお出かけなので決起する(洗車する)ことにした。

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おーい!決起するぞ。

「あ,あたしぃ,ちょっとダメ。手が離せないの。ゴーヤ植えてるから。」

黄色い花粉だろうか,黄砂なのか。車のところかまわずに積もっている。拭き上げの途中で雑巾を洗って戻るともう黄色くなっている。

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おーい!自転車載せるぞ。

「あ,あたし,ちょっとダメ。プランターに土入れてるの。土を運ぶの手伝ってくれない?」

土の袋,重い。

小淵沢まで鉢巻道路を自転車で行ってみた。

標高差は200m,行きはよいよい帰りはコワい(;^_^A

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行き先はここ。自家焙煎珈琲の店。明後日温泉の帰りにCさん宅に寄る。ここのコーヒー豆を喜んでくれる。

姉川はそこそこ,大津はぬるかったので,こんなにキツいサイクリングは久しぶりだった。

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そんなわけで昼から藤見風呂。絵本の原稿のデジタル修正はまだ続いている。

5月25日/渋谷区民をする

旅行に出た。

中央道を甲府盆地に下りていくと曇りの予報に抗って富士が姿を見せた。

双葉のSAで富士山の写真。

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あまりにも素だが,飾らないふつうの家族旅行らしいとも言える。

曇天,その上母は50歩以上歩きたがらない。行き先に窮してハンドルを握りながら「御殿場アウトレット」を提案してみると,なおみが大喜びで食いついた。考えてみれば引っ越していちばんタイヘンな思いをしているのはなおみである。彼女のストレス解消は最優先されるだろう。

なおみは降って湧いたような幸運に喜びを隠せない。

「制限時間1時間半?2時間?」

三人でレストランの食事を終えると宙を飛ぶようにモールに消えて行った。

彼女の愉しいお買い物タイムを確保するためには当然こういうことになる。ところがあらゆる場所の中でボクが最も苦手なのはアウトレットである。おそらく犬もアウトレットは苦手である。だからかつては制限時間いっぱい,タローとボクは駐車場の車の中で睡眠を貪ったものである。すなわち,ボクにとっては人生初のアウトレット歩きということになる。母の指示するままに11軒もの店を巡り,ついに「23区」という聞き覚えのあるブランドショップで七分袖のサマーセーターをゲットした。

「まで!オフクロ,もうムリだ。あとは車で休憩ね。」
「わかった。」

というわけで青息吐息駐車場に向かう道で猛然と店を巡っているなおみに遭遇。

「ねえ,チョコレートとワイン,持ってってくれない?残り時間でお洋服回るから。」

お安いご用である。車に戻り,母と荷物を収納したら,頭痛薬を口に放り込んでシートに沈んだ。

しばらくしてなおみが笑顔で戻ってきた。

「ありがとう。ちょっと時間が足りなかったけど満足した。」

よしよし根性を出した甲斐あって目的は果たした。

三島から伊豆中央道を南下して天城峠に入る。ボクたちは何度も来たが,母に見せようと車高の低い車で苦労しながら旧天城トンネルまで登った。

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母は珍しそうにはしたが車から降りては来なかった。何にでも興味を抱き,ポジティブだったほんの2年前までとは別人になったと言っていい。

峠を下って河津の温泉街に入った。

目的地はここである。渋谷区の保養所がある。

生まれも育ちも渋谷で数十年も区民税を払ってきたが,ついぞこの施設を利用したことがなかった。

転出するにあたり,最後に行ってみようという話になったのである。

夕食は渋谷区が一流ホテルと契約していてちょっとした温泉旅館なみの味を提供する。お銚子を頼むと220円である。

泊り客はほとんどお年を召した渋谷区民なので,何となく似た者同士,上品な雰囲気で静かに晩餐タイムは過ぎる。

母は笑顔で宿の人と会話したりしているが,心から愉しんでる風でもない。そもそも耳が遠くて言葉は聞こえていない。けっこうタイヘンである。

5/26/山葵丼を食べる

教室を閉じてからボクらの朝は劇的に変わった。以前は8時が起床時間だったので,宿に泊まると朝食の時間に起きるのがタイヘンだった。

ところがここのところ5時半には目が覚める。

母を連れて散歩に出てから,朝湯に浸かってもまだ朝食の時間には間があった。

来週には転居の手続きに入るので,実質これが最後の渋谷区民としてのラストとなる。

河津を出てさらに下田方面に南下する。タローを喪った年の秋に来て以来の白浜。まだ胸が苦しくなる。なおみはあっさり泣いている。

満開に咲いている花を母が一輪摘み,その花で子どもの頃にお友だちといつも楽しんだという人形を作って見せた。こういうときは全くの健常者である。

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歩かなくて済む観光地を考え抜いて,伊豆の突端石廊崎まで来た。だが,海と灯台が見える場所までたった100mほど歩かせるのが一苦労である。なおみが何度も何度も励ましてようやく歩かせ,またビジターセンターまで支えながら送って戻った。世の中によくできたヨメは大勢いるだろうが,ウチのヨメもかなりよくできたランキングで上位にはいるだろう。

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再び灯台に戻って束の間,ふたりで観光タイム。

岬の突端にある神社まで,ちょうど幼稚園児の団体といっしょになり,その様子に癒された。

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引率の先生たちはホントにタイヘンだ。だが大人がふうふうと苦労する坂道もちびっ子たちは全く平気である。神社のお参りにはもちろん興味がない。たぶん彼らの記憶には残るまい。

ビジターセンターに戻り,三人でひとつのオーシャンソフトを食べた。写真は「元オーシャンソフト」である。あまりにも喉が渇いて食べる前に写真を撮り忘れた。

さてクイズ。これは何の図かお分かりだろうか。手に持っているのはゴディバの保冷バッグである。正解は「暑い車内で溶けないよう日陰の草むらに隠していたチョコレートを回収したところ」。前日アウトレットでお買い得だった高級チョコ。

 下田から山中414号を使って再び河津七滝に戻ったのは他でもない。こちらの山葵丼をお昼に頂くためだ。

「ごろ~♪」

最近,我が家ではアマプラの「孤独のグルメ」がブームになっている。時間は短く,複雑なストーリーを理解しなくても楽しめ,日本語字幕がついている。夕食のときなど母と一緒に見るのに好都合だからである。

「かどや」の山葵丼はその番組に登場した。だが見たのはついふた月ほど前なのに残念ながら母は覚えていない。さらになおみが動画サイトで予告編を見つけて予習させたが,やはり忘れてしまった。

放映の影響だろうか。人気店となっていて,お昼前に着いても名前を記入して20分ほども待った。

ここでも草むらにゴディバあり。

夕方に三島の友人宅を訪ねる約束なので,まだ時間がずいぶんとある。修善寺から達磨山を越えて戸田に下りることにした。

途中,名物の猪最中を初めて買った。

伊豆中央道の工事は目に見えて進んできている。三島から下田までことによると平日の所要時間は半減するかもしれない。だがそれでいったい誰が得をしているのだろう。長岡,修善寺,湯ヶ島と通過する沿線の観光地の衰退はより加速している。車の流れが変わって,沼津インターや三島の136号沿いにかつてはずらりと軒を連ねていたお土産屋さんも姿を消した。有料道路が通っても休日の渋滞は変わらない。目先の公共土木工事は一時的には地方自治体を潤すかもしれないが,観光業との共存はよく検討されていない印象が強い。月ヶ瀬まで到達した有料道路がさらに天城や河津を飛び越して下田と繋がる日も遠くない。国道沿いにある名物最中の老舗はどうなるだろう。

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達磨山からの景観。

西伊豆に下るいくつかの道を通った回数はそれぞれ50回を超えている。それでもまだ新しい発見がある。霧香峠から戸田に向かう途中,「北山の棚田 棚田100選」との看板が目に留まった。あるいは看板はこれまでにも気づいていたかもしれない。寄ってみようと思ったのは初めてのこと。

こ,これか…。

「…」

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棚田からみかん畑を100メートルほども上がった森の入り口に小さな無料駐車場がある。もちろん母は車に留守番している。急坂をえっちらおっちら登っているとみかん畑で作業していた人が,

「車はそこに停めたらいい。ワシの家だから遠慮はいらん。」

と,呼び止めてくれた。

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優しい申し出,ありがたいことではあるが,できれば帰りではなく行きにそう教えてもらいたかった。

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戸田に来たのもたぶん30回は軽く超えている。タローを連れて来たのも数回,外国人をあんないしたことも数回,思い出が重なって混乱するほどだ。

なおみを初めてドライブに誘ったときも戸田に来た。

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杉林に身を隠したのを探していると,くくくくと笑いながら

「イマムラさん」

と,ぎごちなく声をかけて同じこの木陰から出てきたのは17才のときだった。

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思い出に浸りながら当時から変わらない灯台でいつもと変わらない写真を撮っていると,

車で寝ていたはずの母が堤防の階段を登ってきたのには驚いた。

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そろそろ時間になったので三島に向かうことにしよう。

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