OUR DAYS 2023年2023/9/1-9

9月1日/外回り

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まるで空気が暦を知っているかのように,長月を迎えるとぽーーんと空が澄んで,北アルプスがくっきりと見えた。

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甲斐駒に雲がかかっていないのは久しぶりのこと。

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八ヶ岳にも雲一つない。

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二階の出窓の下に大きな蜂の巣を発見。ここまで大きくならないうちに落としてあきらめさせなければならなかった。

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殺虫剤を使ってから棒で巣を落とす。帰ってきた蜂たちが

「家がない!」

…と右往左往する姿もあわれである。タローを喪くしてから虫を殺すにも憐憫の情がわいて困っている。

さて,外回りでプライオリティが高いのは玄関の夜灯を覆っていた小屋根の修復である。腐ってくずれかけているのを取り外した。

見ると壁の表面も傷んでいる。とりあえず部分的にキシラデコールを施したがこの壁全体を塗装する必要がありそうだ。

 小屋根を外して驚いた。板にブリキを貼ってある。よく見ると角は小さなねじ,他は小釘が3センチおきに打ってある。それを鉄板を曲げて作った架け具にねじ止めしてあった。あきらかに大工仕事である。丁寧な仕事だが如何せん,合板を使ったのがミスであろう。

さて,どうしたものか。

見切り品の甘塩鮭二切れを三人前にする天才チャンチャン焼き”風”(本物食べたことない)VSなおみのモロコシご飯…農家から頂いたはね出しだけど今年のトウモロコシは高温少雨のためひときわ甘い。今夜は負けておこう。

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9月2日/諏訪中央病院

母が体調を崩した。なおみがずっと熱っぽくてグズグズしていたが抗原検査キットでは陰性。念のため家の中でもマスクを二重にし,常に消毒をしていた。それでも可能性は0ではないので発熱外来を受診することにした。諏訪の日赤も富士見の高原病院も発熱外来を受け付けていない。土曜だが茅野の諏訪中央病院だけが看護婦さんの判断で救急外来で受け付けてくれた。

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今日は夕焼けすると思っていたのに,まさかの病院の駐車場で撮影。

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点景しながらなおみが撮っていたのはこれ。なぜに大平原。PCR検査は空が真っ暗になってからようやく結果が出て陰性だった。

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帰宅が遅くなったので,夕飯は頂き物のやたらうまいレトルト牛丼。やたらうまい上に量が多いので三人で分けてちょうどである。

9月3日/チェロと夕焼け

ネットで小屋根の代わりを検索したが,安っぽいビジュアルのものしか見つからない。おまけに雨ざらし(屋根だから当たり前だが)では1年以上持ちそうにない。

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幸いトタン部分が無傷なので板を張り替えることにした。ばぶるさんやリーダーの爆笑,嘲笑が聞こえてくる。まあ見ててください。半年前のボクとは違う。ラジオペンチを使って釘を1本1本外した。ネジ釘は当然バカになっているので,これもラジオペンチでそっと回しながら外す。

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合板ではない板を探すと,半分雨ざらしの場所に無造作に置かれていたこの板が丈夫そうに思える。少なくとも15年以上放置されていたにも関わらず,虫食いも反りもない。…がここまで。日差しや体力を考慮して,外回りの時間は10時までと決めているので残り時間でNBの洗車を予定している。

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機関快調。この夏,ずいぶんと活躍したので労わってやらなねばならない。

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希望者は全部で8人。

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「センセー!アトラクションみたいー♪」

…最近の子はジェットコースターとは言わない。

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何しろ一人ずつしか乗れないので,ボクはけっこうくたびれてしまった。洗車を終えて外回りタイムは終了。

ところで困った。

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発表会が近づいているのになかなか思うように弾けない。先生とデュオでの出演はたぶん例がない。古参のお弟子さんも多いのにボクだけ特別扱いされてる。

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いつも本番に弱いんだけど今度はどうしても先生の期待に応えたい。練習するしかないね。

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今日の夕焼けは昨日ほどではないが,しっとりと落ち着いたいい色だった。

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9月6日/平出遺跡へ行く

なおみの臨時採用の申し込みをしたっきり,夏の間何の音沙汰もなかった。9月になってさすがにあせり始めたある日,塩尻のO中学の校長から電話が来た。塩尻は塩嶺峠の北側になる。登録した通勤可能範囲外であったが,校長先生の側も切羽詰まっていた。音楽の先生が急な入院となり,もう月末の成績をつけることすらできない状態となっていたのだ。場所が遠いことも大問題であるが,全く勤務経験のないなおみにいきなり即戦力としての仕事を求められるのはさすがに厳しい。さらに秋にはいくつか大きな予定が入っていて,早くとも年明けからの勤務を希望していた。だが,当時はそういう贅沢を言えた心理状況になかった。今になってみれば,,このときにもうあと1,2ヵ月待ってみる心の余裕があったらと思わないでもない。

とにかく面接にだけは行こうと言うことになった。峠を越えて初めての場所を訪ねるにはまだなおみの運転には不安がある。通勤渋滞も予想されるので,ボクが送迎することにした。

カフェなどに入ってひとりで時間を潰すのが苦手なボクは,周囲の史跡探訪などしてなおみの面接を待つことにした。スマホで検索すると「桔梗ヶ原古戦場」というのがヒットしたのでさっそく住宅街の中にある古戦場碑に行ってみた。

1352年,宗良親王は越後,信濃の南朝勢力を率いて関東に足利氏本拠を突き敗れた(武蔵野合戦)。後がない親王は1355年8月,この地で北朝方の信濃守護小笠原長基との合戦に及んだ。激しい戦の末に親王は敗れ,この敗戦を機に南朝は衰退する。だが好事家のWebページもののふフォト列伝など参照すると,親王が本陣を敷いたのは峠の東側諏訪湖北岸の岡谷長池付近らしい。総大将が決戦地から遠く峠を越えた温泉場に陣を張っていては敗北も必然だろう。

さらに1548年5月,今度は小笠原長時が甲斐武田軍とこの桔梗ヶ原で決戦する。また山本勘助子育ての松という伝説が平出に残り,こちらは1545年とある。要するに1545年から1550年にかけて塩尻は頻繁に武田軍の侵略を受け,長時はほぼ連戦連敗して没落したと思われる。

桔梗が原は塩尻盆地一帯を広く指す地名のようで,南北朝,戦国,いずれの戦いも資料は乏しく,古戦場の正確な場所は特定されていない。この場所に代表して碑が建てられているだけで周辺に他に目ぼしい史跡があるわけでもない。

そこでもう少し南に車を走らせて縄文時代からの遺跡が残る「平出遺跡」まで足を延ばしてみた。

こちらはその規模と遺跡の豊富さに驚かされた。一帯には各時代を再現した竪穴住居などが建てられ,立派な資料館を中心に公園として整備されている。資料館を訪ねて間もなく,面接を終えたなおみから連絡が入り広丘に迎えに行った。だが遺跡をもっと見たかったので,シャトレーゼでおやつを買って平出に戻った。

周辺の大規模な集落形成を可能にした美しい泉には現在も水が湧いている。

縁とは誠に奇なものである。O中学の臨時採用はさすがに即戦力すぎてなおみは不採用となった。ところが面接にあたった校長がなおみの人柄をとても気に入ってくれた。市内の別の中学で,春から産休に入る音楽専任教師の代わりを探していた校長を見つけてくれた。

O中学の校長はよほどなおみをプッシュしてくれたことと思われる。驚いたことに今度は面接なし,一度も中学に赴くことなく採用が決まった。その中学がなんとこの平出遺跡から歩いて行ける場所だった。この日,就職に不安を抱きながら遺跡見物に付き合うなおみはもちろん知る由もない。

9月7日/キツツキ被害

とん!ととととと… 5時前,ヤツのドラミング!ベランダに飛び出しても間に合わない。

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7月以来,しらべ荘はキツツキの被害に遭っている。

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高いところなので素人では手も足も出ない。

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CDは全く効果なし。このまま穴を放置して蜂やヤマネに巣をかけられると大惨事になる。さて!どうする家康ならぬドレ☆シュウ!!

2016年8月キイロスズメバチ

9月9日/第一公園

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ワインを過ごした帰り道,第一公園を横切るときに,ブランコの陰へ「タローカム!」と呼ぶと子犬のタローがあたふたと走ってきた。「ヒール!」道を歩き出すと大きなタローが纏のように尻尾を振りながら横に着いてくるので涙がボロボロこぼれた。東京で酔うのも悪くない。

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