OUR DAYS 2024年2024/6/13-6/29

6月13日/6年6か月

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たてしな農園にもJAにも行ったが相変わらず花はアルストロメリアしかない。富士見のJAまで足を延ばしたがやっぱりアルストロメリア。西友に行ったらようやく珍しい花を見つけて買ったけど、これっぽっちで450円

いささか寂しいのでぱっちんぱっちん、アヤメにニリンソウ、シャクヤク、ノボリフジ…庭の花をどっさり切ってきて、シュウアレンジメント♪。

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今日はタローの月命日。

6月17日/敦賀行

なんだかのなんだかでなおみの中学は17日(月)が休日となり、日月が連休となった。現在の勤務条件では連休はきわめて稀有なことである。ボクは母を置いてのサイクリング1泊旅行を計画した。部活の定期演奏会と諏訪響の蓼科音楽祭が間近に迫るこの時期、時間が貴重なのは重々承知、実際に土曜は部活と諏訪響のダブルで朝から夜遅くまで練習していた。休日はもちろん、毎日、遅く帰宅してから寝るまでの2時間ほども寸暇を惜しんで仕事し、練習している。これはさすがに体に悪い。頭痛と慢性的な胃腸炎状態が続いている。ちょっとでも休ませるためには物理的に切り離す必要がある。もちろん、純粋にボクが久しぶりに出かけたいという純粋な思いもあるにはある。なおみを送ったついでにぼっちで安曇野や木曽を旅してもぜんぜん楽しくない。40年近く、旅はふたりで行っていたので仕方ない。

たった2日のおでかけでも、今は菜園の手入れをし、母の二日分の食事をアレンジしてから出かけなければならない。だが東京と違って、土日の朝にゆっくり出発しても道路が渋滞していることはない。東京に住んでいるときは休日のお出かけと言ったら暗いうちに出るのが常だったからずいぶんとらくちんである。

転地効果は即出た。サービスエリアでつまらない買い物をしただけでこれだけの笑顔である。額のタテ皺も消えている。

名神高速。遠めならまだ十分モデルが務まるこの姿勢。

米原にあるごらんの場所が最初の目的地。

余呉のとある村。大谷刑部の出生地であることが有力視されているが何も残っていない。

敦賀についた。商店街に銀河鉄道のモニュメントがたくさん建っていて、初めて「フツウ」の観光客をする。

なおみのリクエストは海鮮を出す民宿ではなくビジネスホテルを取っての居酒屋。

いいかなぁ、敦賀はホントに何も残ってないんだよ。跡だけなんだよ。

「いつもそうじゃない。」

いやいつもにも増して何もないんだよ。

…とは旅行を計画する時の会話。なおみはそういう旅に慣れている。

ホテルに早く着いて、県境付近から降り出した激しい雨も止んだので、涼しい夕方に自転車を駆って市内の史跡巡りに出た。

ホントになにもないんだよ。これは一つだけ残っている敦賀城の礎石。

小学校の角にある城跡の碑…ただし、江戸時代の奉行所跡、明治の県庁跡も兼用である。

さすがに案内する方も肩身が狭くなるところだが、なおみは至って平気でいつものように案内板や看板の文字を熟読している。もしかしたら、これまでの史跡もこんなところばかりだったのかもしれないと思えてくる。

途中、遠雷が聞こえ、空が真っ黒い雲に覆われてきた。ホテルにたどり着いた途端、篠突くような土砂降りになった。ボクらはとてもついている。

いよいよ、お楽しみの居酒屋で地酒がとくとくと注がれた。花垣の純米酒

刺身の盛り合わせは「並」と「上」とあって迷ったが「並」にしてよかった。上は質も値段も量も1.5倍だと店員が言っていた。

一生に一度は食べてみたい…と、なおみが清水の舞台から飛び降りるような表情で注文したハモもまたこの量だった。

カレイのから揚げ。

へしこ焼き…何のことか忘れた。たぶん若狭名物

ととみそ…同上。これにて、もう二人とも水一滴入らない満腹状態。

部屋は一番安いエコノミーダブル。これだけのスペースがあれば十分。

朝ごはん

チェックアウトして港にある公園の無料駐車場から気温の上がらぬうちに出発。

敦賀ムゼウムは杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民を受け入れた施設。

赤レンガ倉庫。

気比の松原

敦賀半島にある常宮神社に向かって出発。想定外のアップダウンが続く。

約束の時間を15分も過ぎて到着。

大谷吉継が慶長の役で朝鮮から持ち帰り秀吉の命を受け(実際にはおそらく許しを受け)常宮神社に奉納したとされる朝鮮鐘の見学申し込みをしていた。遅刻しても快く見せていただいた。

ボクは基本的に戦争の略奪品(イギリスやドイツなどがアフリカや南米、アジアから無断で持ち出した品を含む)はすべて元の国に返還すべきだと思っている。だが朝鮮鐘に関しては難しい問題である。なぜなら吉継が持ちかえらなければこの鐘はおそらく存在していないからである。韓国で観光化されていない田舎のふつうの寺を訪ねたことがある人にはわかると思うが、李氏朝鮮による崇儒廃仏はとくに14、15世紀にはピークとなり、寺の建物、仏像などの破壊、焚書は苛烈を極めていた。おそらく信仰に篤かった吉継は廃墟となった寺院の跡から鐘を見出して本国に送ったと思われるからです。つまり「朝鮮を出るときには廃品だった」という点で他の戦利品とは一線を画します。その上で慶州及び韓国の関係機関が大谷吉継の文化的功績を認め、文書及び保管場所の案内にその旨明記するという条件でなら返還すべきと考えます。

寺の展望所からは敦賀湾が一望できる。

再びアップダウンを市内に引き返す。

永賞寺の吉継供養塔。関ケ原の数年後に建立されたとある。今回の旅でもっとも形ある史跡である。

参拝記念帳を見ると、この日だけで横浜、名古屋、仙台からの訪問者が並んでいる。大谷刑部がいかに人気武将かがわかる。

車を停めた岬には金ヶ崎城址がある。

途中、シュウの退き口となりそうな坂や階段を乗り越えて山頂まで登った。写真に写った顔が赤い。危なかったのかもしれない。

12時過ぎ。自転車を積んで、一路高速で帰路についた。

あまりの疲れにボクは夕食後、すぐに寝たが、なおみは練習と仕事をしていた。

6月23日/出払い

初めて「出払い」に出た。出払いとは地区全戸参加必須の合同草刈りのこと。秋には東京行きと重なり、春はうっかり忘れて、ともに罰金を払った。今度こそは腰の具合がいいので、刈払機を持って主力として参加してやろうと、昨日、歯を替えようとした。ところがどうしてもネジが緩まない。庭で使うナイロン紐が回る歯はなぜかダメらしい。鉄製の歯を装着しなくてはならないのだが、とうとうあきらめてMさんに相談に行くと、

「じゃあ、鋤簾を持っていきなさい。」

と、言われた。

朝5時50分公民館前集合。土砂降り決行。ボクは鋤簾を持参し、刈払機で道に散った草集めを担当した。夏至も過ぎたのに息が白かった。

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作業半ばになおみが出勤していった。土曜も日曜も出払いも庭仕事もオケの練習もキムタクのドラマもお菓子作りもへったくれもない。長野県の中学はブラックどころか漆黒の闇職場だ。

さて、出払い。それぞれ担当の場所を順繰りに決めて、都合のよい日時に草刈りすればよいとも思うのだが、こうして出払いや総会で季節ごと顔を合わせることも大事だとも思う。帰り道にMさんやKさんに歯の交換の話をしたら、すぐに原因がわかった。

「刈払機は逆ネジだよ。」

「え!?」

メガネレンチで力任せに締め付けていたことになる。今度こそ緩まないかもしれない。

6月24日/夕空

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夕飯の支度をしているとき、ベランダからなおみが駆け込んできて、

「夕焼けキレイ!行った方がいい。」

と、言うので、あわててミラーレスを持ってオーリスに飛び乗った。

ぎりぎりセーフ。

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夏至の候、入り日は原村から見るとびっくりするほど北、ほとんど西穂高の稜線に沈んでいった。

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夏が来た。

6月26日/木曽行

なおみの送迎に出たが今日は天気がよくない予報。写生には向かないのでBコース、Cコースといろいろ準備してあるうちの木曽義仲史跡めぐりに行くことにした。

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ところがどっこい、一日よく晴れてよいドライブ日和となった。

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予め調べておいて訪ねた史跡は7か所だったが、そのいずれでも誰とも会うことはなかった。敦賀と同じく、ボクはこんなマイナーな史跡めぐりが大好きである。探してたどり着く工程もまた楽しい。だが、なおみといっしょでないと楽しさは1/10くらいである。

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木曽では巴御前の人気が圧倒的である。時間がたっぷりあるので、観光客用の義仲館なども見物した。村の経営らしく300円だった。平日は暇と見えて、一通り見て回ると、受付の方がお茶と漬物をふるまってくれた。営利目的ではない公立の施設はこれから積極的に見学しようと思った。地方自治体の教育委員会で史跡の保護などの予算を決める際、このような施設の入館実績などが役に立つかもしれないからだ。

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「源氏旗揚げ蕎麦」という店の冷やしたぬきそば。

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中原兼遠屋敷跡から見た木曽山脈。旅行記はそのうちに書きます。

6月27日/母の美容院

母は山の別荘地にある美容院が行きつけだった。ボクらが移住する前はご主人が母を送迎してくれた。ボクと同じ髪結いの亭主なので忙しくはない。

カットとパーマで9000円は標準的な値段だが、母はいつも1万円札を出して、おつりの1000円札を返していた。送迎のお礼を兼ねていた。

ボクが送迎するようになってからもその1000円を平気で受け取っているのがボクは少し癪に障っていた。母は気にしていない。

先月、母が東京に行く前日に予約をしていたところが、その日、ちょうど家の前の道が入り口で工事のため、車が出入りできないことを忘れていた。母は

「大丈夫」

今日は迎えに来てもらいましょうと気軽に電話をかけた。即答で断られた。ボクが電話を代わって事情を説明したが、送迎は難しいと言われた。それならば…工事が終わる3時過ぎに時間を変えてもらえないか聞いた。何しろ東京の友だちと会うのは翌日である。ところが予約でいっぱいだとのこと。10年近く毎月行っていた個人経営の美容院である。ボクとしてはたぶん営業終了のあとにカットだけでもしてもらおうと、…いやしてもらえるだろうと甘く考えていた。が、けんもほろろだった。

「おばあさんに、自分でくるくるっと巻いていってと伝えてー」

これにはさすがにカチンときた。お得意さんである。同じ断るにも言い方があろう。それにボクには(人間の)子どもがいないので、誰も母をおばあさんとはよばない。もちろん高齢のため、数年前から自分でくるくるっとなどできなくなっている。

「ではとりあえず今日の予約はキャンセルしてください。」

ボクは電話にむかってそう言った。だがもう次はない。

リョーコたちの晴れ着の前撮りのときに着付けを頼んで以来、なおみが茅野の老舗美容院に行っている。母もお願いすることにした。

美容院に限らず、腕や商品の品質だけではない。気持ちの問題というものがある。

そういうわけでボクは毎月の美容院送迎から解放された。山とちがって茅野ならば二度往復する必要もない。買い物などの用足しをしていれば終わる。もっとも今日は天気があまりにもよかったので、買い物の代わりに山の写真を撮りにいずみ野の方へ行った。最初の4枚がその写真である。

6月28日/庭仕事1時間

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なおみは休みだが持ち帰りの仕事とバイオリンの練習で外に出られるのは1時間だけ。

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その1時間を楽しむ。

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トマトが実をつけて彼女を喜ばせた。

6月29日/モルダウ

…のセカンドは単調なフレーズの繰り返し。その音程が難しくて、

「一生弾ける気がしない」

と、文句を言っていたなおみだが、ここのところの練習を聞いていると、どうやら克服しつつある。練習時間がほとんど取れないのにがんばってる。諏訪のタウン誌に高原音楽祭の記事が載っていた。去年の写真にしっかり写っている。

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なおみが出演するコンサートの中では高原音楽祭が圧倒的にいい。まず、誰でも知っている曲を選曲するサービス精神、そしてこのソリストの演奏を4000円で聴けるというお値段の安さ、さらに指揮者がホントに楽しくて明るい人柄でとにかく面白い。ネタバレになっちゃうけど、圧巻はアンコールで北欧での紛争を憂い想って観衆に合唱を呼びかける。

もう一つのモルダウ

一度はもうチェロをやめようと決意した発表会から半年あまり、先生から誠意ある慰めのことばを頂いてボクは練習を続けています。

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