July 24/2020

井手の沢古戦場

初のサイクリングはドレミのオルベア初乗りでもあった。井手の沢は建武2(1335)年,中先代の乱の古戦場。

町田市中町から菅原神社まで周遊

距離: 3.8km(笑)



ドレミの実家に所要あり,東名高速を用賀から横浜青葉までルーフに自転車を載せての走行テストを兼ねて走った。

びくともしない。運転もむやみな追い越しをしなくなって安全この上なし。



さていよいよ出発。ドレミの初走行を不安げに見送るのは従弟のJene。年の離れたこの二人,ドレミのニューヨーク留学中は日本語の師弟でもあった。



目的地は中先代の激戦地井出の沢。現在は鎌倉街道沿いの菅原神社境内になっている。ボクのジャイアント走行は比較的快調だったが,ドレミの方はUターンできずに遅れたり,停車時にバランスを崩して股裂きの刑に処せられたりしてさんざん。オルベアの乱と名付けることにした。



井出の沢古戦場碑

1335年,執権北条高時の遺児時行が京都を始め各地で起きた北条残党の蜂起に呼応して潜伏先の信濃で挙兵し諏訪頼重らを従えて鎌倉を目指した。足利直義軍はこの地に迎撃の陣を張る。



激戦の末に足利軍は潰走し,北条時行はなんと鎌倉を奪還するも,人心を得られず20日間で直義と合流した足利尊氏軍に鎮圧された。



先代(鎌倉)と後代(南北朝時代)のさらに「中」にある中先代の20日天下。ここ井出の沢の戦いはその端緒にあたる。



井出の沢の東端は鎌倉街道を見下ろす崖になっている。おそらくこの崖上に井出の沢城があったと思われる。



鎌倉時代に坂東方面の軍事要衝として築城された可能性が高い。城と言っても柵を巡らせただけの砦に近いもの。井出の沢の戦いでは逆に足利軍が北条軍を迎え撃つ砦として利用したであろう。



地形を見に菅原神社の境内にお邪魔する。折しも赤ちゃんのお宮参りの家族が本殿をバックに写真撮影中だったので参拝は遠慮した。



菅原神社の参道。鎌倉街道は今井谷戸から南下し,木曽丘陵を迂回して大きく東に半円を描きながら鶴川街道と合流する。とりわけ恩田川の河岸段丘に挟まれた合流点付近は狭隘になっている。両街道を一望に見下ろす井出の沢城はとても重要な軍事拠点だったことが窺える。



梅雨明け前のさして暑い日ではなかったが二人で500ccのお茶を飲み干した。これからサイクリングには水の備えが必要だろう。



鶴川街道を吸収した鎌倉街道は南に向かって丘陵を一気に登る。15段変速のジャイアントもオルベアも二人の脚力では苦戦を余儀なくされた。街道は西に折れて相模原に向かうが,ボクらは初サイクリングをここで終えて実家のある中町方面に進んだ。