01/HIROSHIMA

Aug, 2005

エノラゲイ

夏休みとはいえ,まだお盆休みには間があり東名高速の流れは順調だった。忙しくて愛車のメンテナンスに自信がなかったので出発する前に近所の工場に寄った。何しろ「高性能エンジンのおまけにもれなく運転席がついてくる」と揶揄されたほど狭いこのスポーツカーがこれから10数日間,文字通りボクたちの家になるのだ。

入念な整備を受けて東京インターを入ったのは夕方近く,静岡を過ぎる頃には街に灯りがともりはじめた。小牧付近の渋滞情報は愛地球博の影響だろうか。なにげなくつけたラジオのニュースが,広島に原爆を投下したエノラゲイの乗組員の談話を伝えた。

「原爆によって戦争の終結が早まり多くの日本人の命を救ったことを誇りに思う。」

という主旨であった。強い違和感を覚えた。ニュースは淡々と別の話題に移りボクたちはしばらく無言になっていた。

「広島の記念式典に行けないかしら」

やがて妻のドレミが言った。ドレミとボクは結婚18年目。仕事もプライベートも24時間いっしょに暮らしているのでいつの間にか考え方も感じ方も似てくる。だから彼女が口を切ったこのときが広島行のスタートだった。

すぐに友人に電話して調べてもらうと

「式典は8時からで一般参加の席は7時半頃には満席になるそうです。周辺はイベントが重なり渋滞が予想されます。」

とメールが来た。このとき浜名湖SAで午後8時,広島まではまだ600kmある。これはいきなりハードな大作戦になるだろう。名神から山陽道を交代で走り続け広島近くのSAについたのは4時近かった。考案したアクセスルートは「広島インター近くの大町駅付近に駐車場を見つけ,JRで横川駅,さらに路面電車で平和公園に入る」というもので,混雑の予想される中心街を避けられるが,電車のアクセスを考えると6時前には作戦に入らねばならない。ボクたちは1時間ほど仮眠して身支度しインターから早朝の広島市に入った。60年前のその時間,エノラゲイは硫黄島付近を広島に向けて飛行中だったはずだ。

結局小さなJRの駅には駐車場が見つけられず,横川駅のコインパーキングを利用したため早すぎて路面電車は走っていなかった。

仕方なくタクシーで会場に行くと,まだ7時前で一般席のほぼ一番乗りを果たした。

空に広がっていたうろこ雲も式典の始まる頃には消えて今年も8月6日の広島の空は青く晴れた。「水を飲ませて」と懇願しながら亡くなった被爆者たちに市長や来賓が水を供える献水の儀式に続き,原爆投下時刻に合わせて黙祷し,鳩が放たれた。

この場で平和を願う人々とともに祈りたいという思いは果たされたが,式典は形式的な印象だった。小学生の誓いのことばはどう考えてもおとなが書いたらしい原稿の棒読みだ,国会運営が厳しい局面にある首相の演説には全く心がこもっていなかった。

後半のタイムテーブルにはずっと各界各国の来賓挨拶が並んでいる。広島の惨禍を風化させないためには必要な式典のありかたなのだろうけれど,市民や平和を祈る人々による慰霊の集いとしての性格は感じられない。ほとんど寝ていないドレミが貧血気味になったのを潮にボクたちはそっと会場をあとにした。

帰りの路面電車は原爆ドームの前に駅があるので,公園を北に横切る形になる。

公園の中は会場に入りきれなかった人たちや各国のマスコミ,ドラを鳴らしながら行列する僧侶「首相は帰れ」とシュプレヒコールをあげるデモ隊,ギターを鳴らして歌い続ける若者のグループなどでごったがえしていた。ボクたちを含めさまざまな思いを持ってこの日ここに集まってきた人々に真夏の太陽が降り注いでいた。

路面電車が立ち往生して「小泉首相帰京の交通規制のため暫く停車します」と車内放送が流れた。中座してしまったボクらよりも早く東京にとんぼ返りした首相は,数日後,参議院で郵政関連法案を否決され,なぜか同じ法案を通した衆議院を解散した。全く理屈が通っていない。

そしてボクたちは九州へ向かう。交代運転,交代睡眠でひたすら西へ走る。

 

関門橋

関門橋を渡るときはボクが運転担当だった。横で鼻提灯をふくらませているドレミを

「おい,もうすぐ関門橋だぞ」

と何度もつついたが鼻提灯は割れそうにない。

「橋の手前のパーキングで記念写真でも撮ろうか」

と声をかけると

「は,はい!はい!」

とよい返事で飛び起きて地図を開いたのでてっきり目が覚めたのかと思っていたが,壇ノ浦PAが近づいても反応がない。見ると地図を胸にさらに大鼻提灯をふくらませている。まあ,壇ノ浦PAは九州に入るたびに立ち寄っているので起こすまでのこともないかとそのまま関門橋に入った。午後の順光に瀬戸内海がきらきらと美しい。春には同じ海を松山から眺めていた。

中国道で周防の斜面を下るときからラピュタでも潜んでいるかと思うほど巨大な入道雲が遠く見え隠れしていたが,九州に入ってそれが突然行く手に迫ってきた。間もなくあたりが真っ暗になってゴルフボールのような雨が激しく落ちてきた。真夏の九州の夕立は本州に住む人の想像を絶する。直前の車も雨煙の中に消えて見えない。

「ふがー」

と間の抜けた音がして横の眠り姫が目覚めた。

「関門橋,まだあ?」

路側帯には走るのを諦めた車のハザードランプが列を作り稲妻が間断なくひらめく外の事態とは対照的に,夏の旅に慣れたボクたちの車内はやや緊張感を欠いている。

「えー!なんで起こしてくれなかったのー!」
「お前,ホントに記憶ないの?」

九州を回る順路はまだ全く決まっていなかったがまずは名護屋城跡を訪ねるべく荒天の鳥栖ジャンクションを西に折れた。

この夜大事件が待っているとは知るよしもないボクたちであった。

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