OUR DAYS2010年2010/7/19

従妹のエイミーが帰国する前日、子どもたちが笑いながら実家で見つけてきた一枚の古い写真を見せた。

「なおみがオンセンに入ってるー」

そこには裸で水浴びする幼いなおみが写っていた。写真を撮ったのも、庭にビニールの簡易プールをふくらませたのも伯父、すなわちエイミーの父親であった。ボクは写真を見ながら彼女に頼みごとをひとつした。

「帰ったらキミのお父さんにボクたちの教室のことを話してくれ。」

彼は一度も見に来たことがないのにボクたちの仕事を嫌っている。ボクが自分の仕事に都合よくなおみを使っていると思いこんでいるからだ。だけどこの仕事が好きなのはボクよりなおみだ。実際に見たからわかるだろ?

「Yes」

むしろボクの方がなおみをサポートしてると言える。

「それを伯父さんに伝わるように話してくれ。」

もう20年来の誤解である。これを解けるのはエイミーしかいないと思った。彼女たち一家を教室の授業に招いたのは、その目的も大きかった。いい加減、あの頑固オヤジの誤解を解かないと、困ることも多くなってきた。

だが結局、その誤解は永久に誤解のままとなった。翌朝、エイミーたちの飛行機が羽田を離陸した頃、伯父はニューヨークの自宅で梯子から転落し、救急搬送されていた。

伯父の住むミッドタウンはマンハッタンの中心にある。そこでは古いビルディングが建て替えられることはほとんどない。クラッシックな外観を持つ建物の内部をリニューアルして住むのがニューヨーク流なのである。だからマンハッタンにアパートメントを持つ人は誰もがDIYの達人だ。空調、サッシ、エレベーター、水回りなどすべてがクラシックで、とても業者に頼れるレベルではないからだ。もちろん伯父もよく休日にトンカチを持っていた。だから今回の個展の準備でも、大きな作品や凝ったものを展示するとき、自ら身軽に脚立に乗って美術館の担当者を驚かせたそうだ。さもありなんと思う。マンハッタンは八ヶ岳の山中で暮らすよりもDIYを必要とする。風呂場のペンキを塗り替えることなど彼にとっては朝飯前だったはずだ。

油断したのだろう。浴室のタイルは彼の左後頭部を完全に破壊し、病院に着いたときには意識がなかったそうだ。エイミーはニューヨークの空港で夫アンドレアの両親からそれを知らされた。すでに事故から半日が経ち、義母は渡米の準備を始めていた。エイミーのできることはただひとつ、彼女を待つために取り付けられた人工呼吸器を外す処置に同意することだけだった。

人工呼吸器が外されても伯父は強い生命力で生き続けた。そして日本から義母たちが駆けつけると、まるでそれを待っていたかのように静かに息を引き取ったと言う。

訃報を受けてなおみが号泣した。

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伯父は最初の姪っ子であるなおみをかわいがり、帰国するたびに彼女と遊んでくれた。なおみも「ひげのおじちゃま」と呼んで慕っていた。水浴びする写真はそんな日々の一葉だ。ニューヨークで画家として成功し、大学教授にまで上りつめた伯父は一族の精神的支柱だった。なおみにとっては両親が離婚したあとの父親代わりでもあった。

だからボクはおっかない岳父を失ったことになる。

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